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人生いろは坂

自然のあるべき姿 

2014年05月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 地味で目立たない花だが、いま柿の花が一斉に咲いている。満開だと表現したいのだが、桜の花のような華やかさがないので満開と
表現するにはいささか場違いな感じもして一斉開花とだけ表現しておこう。みなさんは柿の花をしげしげと観察されたことがあるだろうか。
花芯には小さなおしべやめしべがあり、その周辺を少し硬めの小さな花びらが付いている。柿の花には雄花と雌花がある。雄花は役目を
終えるといずれぽろぽろと落ちてしまう。その落ちた花を見て柿の花の開花を知ることが多い。それほど地味な花である。ちなみに
柿の花は俳句の季語にもなっている。

 先日、畑で草刈りをしていてふと気づいたことがある。実は収穫の終わりかけたアラスカ(実エンドウ)にたくさんのキリギリスが
群がっていた。何で枯れかけて栄養の乏しくなったエンドウにと思ったのだが、この季節のエンドウ、普通なら夜盗蛾の幼虫に蚕食
されているはずなのにその様子がない。どうやら群がっているキリギリスたちが食べてしまったらしい。まだだ食べ足らないので
あろうか。盛んに這いまわっているのだ。キリギリスは成虫になると植物食だけでなく肉食にもなる。あの涼しげな音を聞かせてくれる
鈴虫だって餌として削り節を与える。つまり成虫となったキリギリスたちは、彼らもまた食物連鎖の一部にいて害虫などの駆除を
してくれていたのだ。

 自然があるべき姿に戻っていくと言うことは単に土だけの事ではない。地上部に於いては本来の食物連鎖が正常に戻ると言うことなのだ。
農薬の散布が極端に少なくなった我が家の果樹畑ではキリギリスが増え、蜘蛛が増え害虫と呼ばれている昆虫たちを捕食しているようだ。
その代りキリギリスは、幼虫の時は葉などを食べるから穴だらけになることはある。それを我慢すると次第に益虫となり、自然のあるべき
姿に戻っていく。

 さて、自然に戻れないのが放射能に汚染された大地だ。NHKの特集によるとアメリカ国内でも原子爆弾の材料であるプルトニウムの
製造工場周辺や繰り返し行われたネバダの核実験場の風下など広範囲に放射能で汚染され、癌などの疾患が多発しているらしい。日本でも
福島問題があらわになってくるのはこれから先のようだ。

 放射能による機能障害の数々は、核物質が発する電磁波によるものだ。α線、β線、γ線、それぞれが物質をも透過するような強力な
電磁波なのだ。この強力な電磁波は遺伝子を傷付けるだけでなく生体に様々な影響を与える。電磁波も肉体にとっては強力なストレス
なのだ。最近の研究で様々なストレスが癌の原因だと言うことが明らかにされつつある。

 そのストレスの一つが活性酸素によるものであり、人間が生きていくうえで必然的に受けるストレスである。酸素を吸ってブドウ糖を
熱に変える。その過程で活性酸素は発生する。それを消すのが酵素なのだが、酵素は年齢を重ねるとともに作る能力は低下する。
従って高齢化すればするほど必然的に癌になりやすくなる。これは人間などが生物進化の過程で取得してきたシステムなので仕方が
ないことなのだ。

 もう一つのストレスは自分の心のあり様や過酷な肉体的なストレスによるものだ。心の持ちよう一つでストレスは格段に軽くなる。
心配事をなくし「どうせこの世の中なるようにしかならないのだ」と思えるようになると気が軽くなる。ストレスを軽減できる。
強度の肉体的ストレスやくよくよ思い悩むことや怒りは著しく血行を悪くする。これが度重なると癌の遠因となっていく。

 この辺の事情は免疫学の権威である東北大学の安保先生の話を聞くと良く理解できる。現代社会は何となくぎすぎすしてお互いが
お互いを傷付けあっている。こんなことでは癌ばかりでなく色んな病気に罹りやすくなる。気長にのんびりと生きていくことこそ
健康の秘訣ではないだろうか。薬や医者に頼るのは最少必要限度にしよう。病気は自分の努力で防ぐことが出来る。

 さて、その放射能、いま福島で明らかになりつつあることは原発を管理していた人達がメルトダウンが進行していた時に逃げ出して
いたと言うことだ。あの過酷な状況の中で現場に止まれと言うことの方が無理な話だ。如何に原発で働いているとはいえ、経験のない
ことが起きようとしていたのだ。逃げ出したことが問題なのではなくて逃げ出さなければならないようなものを何故作ったのかと
言うことが問題なのだ。

 実はあの時、私が心配していたのは爆発を食い止める人がいない、そしてその手段が失われてしまった。加速度的に進んでいく
メルトダウンをどのようにして食い止めることが出来るのだろうかと言うことであった。結論から言うと結局メルトダウンは進むだけ
進み、圧力容器をも溶かして外へ流れ出したと言うことであろう。あの灼熱の火の玉は地球のどの辺にまで沈んでいるのだろう。
地下水脈に当たり何度もの水蒸気爆発を伴いながら、なおも地中深く沈み続けているのだろうか。そのことを明らかにできるものは
誰もいない。

 そして、その後のもう一つの心配は誰がこの惨状の後始末をするのだろうかと言うことである。今も後片付けの目に見えるほどの
進展はなく、もたもたと失敗を繰り返しながら後始末が行われている。が、しかし見るべきものは何もない。今はこの作業に関わって
いる人が一人でも辞めずに頑張ってほしいと言うことだけである。携わる人がいなくなってしまえばこの現場は放棄されてしまう。
チェリノブイリの石棺のように広大な土地が放棄されることになるのだろうか。

 本当は起こりえない戦争を想定し集団的自衛権だとか憲法改正のための法案整備などにうつつを抜かしているときではないのでは
ないだろうか。このまま福島や周辺を放置したままにすればすさまじい核エネルギーの電磁波ストレスで多くの人が傷つき倒れる日が
来ることは間違いない。それは先にNHKで放映されたアメリカの事例を見れば明らかなことである。

 私たちは進みゆく地域の過疎化を少しでも埋めたいと思い、空き家対策のためにこうした被災者を受け入れる体制を少しずつ整え
つつある。今からでも決して遅くはない。どうか被災地の皆さんは一日も早く安全なところに移動してもらいたいと願っている。

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