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人生いろは坂

父の戦争(ノモンハン事変) 

2013年12月16日 外部ブログ記事
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 相変わらず世界ではきな臭い話が絶えない。あの太平洋戦争の開戦から早70年近くが
過ぎようとしている。開戦の日であった12月7日には、NHKで相次いで二つの特集が
組まれていた。一つは作家司馬遼太郎氏の追悼記のようなもの、更に一つは真珠湾攻撃に
至る暗号解読や国際的な情報戦に関するものであった。

 いずれの番組を見ても、ことの理由はどうであれ先の太平洋戦争は愚かな戦争だった
ようだ。当時、国民もマスコミも上げて戦争賛成派であった。その背景にあったものは
何であったのか。そして、つい先日放映が終了した「八重の桜」でも徳富蘇峰らが新聞を
して世論を先導していく戦争への一端が描かれており、軍国主義へとのめりこんでいく
日本の姿を垣間見ることが出来た。

 日清、日露の戦争で奇跡的に勝利した(?)日本は軍国主義が台頭し次第に軍事国家と
して戦争へのめりこんでいく。本来は外交手腕で処理すべきものが軍事力を背景に交渉が
進むようになる。軍事力を有すればそれをコントロールすることは難しくなる。

 それはシビリアンコントロールを自認する国でさえも表向きはそうであっても裏では
逆にコントロールされていることが少なくないからだ。あるものは使ってみたいと思うのは
軍人ならずとも人情であろう。だからと言って軍事力を持たずに敵対する相手と対峙する
のも難しいことではある。所詮、人間と言う未完成な生き物ゆえの事であろうか。こうして
強力な軍事力を有するようになった日本の行く末は見えていた。

 私の父は子供のころから軍人にあこがれていた。家が困窮を極めていたために優秀では
あったが進学をあきらめ叔父に促されるままに丁稚奉公に入った。本当は陸軍幼年学校に
入りたかったらしい。それは戦後、飲めば口癖のように語っていた父の繰り言であった。

 その父が入隊検査を受け甲種合格で兵役に就いた。入隊したのは福山の連隊であった。
入隊して間もなく戦地に駆り出された。行先は満州であった。チチハルだとかハルハ河等と
聞いたこともないような地名を語っていた。ロシア人の捕虜のことも話していた。それは
戦地でのことではあったが残酷極まりない話であった。文にすると差し障りがあるので
差し控えることにしたい。

 父自身もこの戦争で何度も窮地に立たされ九死に一生を得て帰還した。当時、200人
規模の部隊で生き残ったのはわずかに3名と言う惨憺たる戦争であった。完全な軍幹部の
誤算によるものであった。

 日露戦争でロシアに奇跡的に勝利したとはいえ、それは軍事力によるものではなかった。
革命後のソ連は圧倒的な国力にものを言わせて軍事力を強化していたのだ。重戦車を初め
として機関銃などの重火器も充実していた。

 それに対し日本軍はわずかな装備しか持たない人海戦術だったのである。戦争は精神だけ
では勝てない。戦争は装備が全てである。それはノモンハン事変に続く太平洋戦争で思い切り
知らされたことであった。愚かな戦争の元凶は関東軍というコントロールの効かない獅子身中の
虫のような存在であった。

 司馬さんは当時の軍幹部だった人達に聞き取りをし、いつかは小説にするべく膨大な資料を
集めていたようだ。しかしとうとう刊行されることはなかった。司馬さんは、これを書けば
途中で発狂してしまうかも知れないと漏らしていたようだ。

 それほど歴史作家をして書く気にはなれないほど愚かな戦争だったようだ。私ごとになるが、
この戦争に動員されたことが契機となって父の人生は完全に狂ってしまった。戦争と言うものは
様々な人生を情け容赦なく狂わせてしまうもののようである。若き人生の出発点で人生が狂って
しまったのだった。気の毒としか言いようがない。

 イギリスはナチスドイツの猛攻の前に窮地に立たされていた。起死回生の手段としてイギリスの
首相だったチャーチルが選んだのは徹底した情報収集であった。ドイツだけでなく三国同盟を
結んでいた日本などの動向にも多大な関心を寄せていた。

 アメリカと日本の関係を悪化させアメリカを戦争に巻き込むために日本の暗号を解読し
アメリカへ戦争を仕向けるようにした。その発端となったのが日本軍の真珠湾攻撃であった。
この作戦は当のアメリカもむろんアメリカを戦争に巻き込みたかったイギリスも良く知っていた。

 一方、日本軍は知ってか知らずか易々と開戦に至った。全ては仕掛けられた罠だったのだ。
「特別秘密保護法」など作っても実は無駄なのだ。必要な情報はどこから漏れるか分からない。
漏れるものだと考えていた方が良い。ましてや今回の立法がアメリカからの強い要請だと
すれば、なおさらのことである。

 この法が現実に機能するとすれば自国民やマスコミを報道管制にかけるためのものだと言っても
過言ではないだろう。国は守らなければいけない。しかし、戦争と言う手段はとるべきではない。

 先の太平洋戦争の開戦は12月7日であった。その日を振り返りつつ考えることは、私たち
国民自身がもっと政治に深く関与し自国の行く末を真剣に考えることである。決してバカな
国民になってはいけない。政治家たちが私たちのことを真剣に考えていてくれると思わない方が
良い。それは過去の幾多の事例が如実に物語っているからだ。

 だからと言って政治を軽んじたり落胆する必要はない。過剰な期待はせず常に冷静な判断力を
持って国の行く末を見ていることが大切だと言うことである。

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