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12月8日 江の島と鎌倉郊外を歩く(その1) 

2013年12月13日 ナビトモブログ記事
テーマ:自然探訪

 12月8日、前日見た天気予報チャートは、終日お陽様マーク。しばらく近くしか歩いていなかったので、江の島と鎌倉歩きを企てた。江の島は、子供が小学生のころ行ったきり、その後は眺めてはいても、橋を渡って訪れてはいなかった。
 7時半に起床。カーテンを開くと、空がほとんど隙間のない鱗雲に覆われている。「話が違うぞ」と思いながらも、出かけることにした。町田から小田急江の島線に乗り、終点の片瀬江の島駅に着いたのは10時7分だった。
 北西からの風がやや強く、少々寒さを感じる。竜宮城を模した駅舎の片瀬江の島え駅の正面の境川に架かる橋を渡る。自宅付近の町田市と相模原市の境界付近では川幅は10m足らず、しかし河口ともなれば中小河川の面影は無い。橋を渡り終えると国道134号線の横断地下道であるが、入口が小広場になっていてトイレや植え込みもある。トベラ(扉)の木が植えられていて、丸い実の何割かは黄色っぽく熟した実が割れ、赤い種が覗いている。この木の花は、5月の始め葉山町で撮っていた。
 横断地下道を出て200m程は海岸から江の島に向かって伸びる砂州上に作られた道、その先の400m近い弁天橋を渡ると江の島である。自動車道と歩道の橋が並行して架けられている。車道も交通量は多かったが、歩道も大勢が行き交っている。観光名所である。しかし、今日はどんよりとした空、大山や丹沢の山の頂きと同じ位の雲の高さだった。富士山の眺めはこの空模様では望むべくもない。橋に近い内海では轟音を発する水上バイクで3、4人の男性が遊んでいた。
 江の島は、周囲が4km、急斜面や断崖に囲まれた上が緩やかな標高60mの山の様な地形が核になっていて、東側にはヨットハーバーがある。1923年の関東大震災の時に島全体が2m程隆起したため、海岸線は海蝕台が取り巻いている。
 弁天橋を渡ると真っ直ぐに、旅館と土産物屋や茶屋が並ぶ江島神社の参道の200m余りの緩い上り坂が伸びている。道幅いっぱいに人が溢れていて、外国人の観光客も多い。自販機で買ったホットコーヒーの缶を手に、土産物街を抜ける。
 突き当たりからは石段になり、その途中に瑞心門がある。白色の四足の灯篭の脚部分に、良くある寺社建築の門の建物を載せたような独特のスタイルの門である。竜宮の門をイメージしたものと言う。瑞心門をくぐると、ジグザグの石段で、江島神社の辺津宮の前に出る。足の悪い人用には有料であるが“エスカー”という名のエスカレーターがあり、誰でも参拝できるようになっている。普通のおみくじ売り場以外に、テントの売り場も設けられていた。「祝七五三詣」と赤い筆字で書かれた立て看板もあった。
 自分は、参拝せずに先に進む。辺津宮に向かって左に、緩い階段を少し下ったあと上り返す坂道に出る。途中に小公園があり、パンジーなどが植えられていた。デッキからはヨットハーバーや稲村ヶ崎に至る七里ガ浜の海岸線が見渡せるが、残念ながら、つい先日観音崎で見たような綺麗な青い海の色ではない。鉛色の海原だった。小公園の先はさほど長くはないがまた階段で、それを上る江島神社の中津宮がある。ここにもエスカーはある。中津宮社殿の正面は朱塗りの化粧直しの工事のネットが張られていて、雰囲気は台無しだった。
 樹林に囲まれた中津宮の境内からまた少し上ると、サムエル・コッキング苑前の広場に出る。この付近は江の島で最も標高が高い場所になる。サムエル・コッキングはアイルランド人の貿易商の名で、1882年から数年をかけて江の島頂上部に約10,000?の大庭園を造築したのだとのこと。関東大震災で倒壊してしまったが、大温室も作られ、南洋の島の珍しい樹木も植えられた植物園だったそうだ。南洋の島の樹木の数種類は、現在も健在らしい。またこの庭園の奥には江の島のシンボルの江の島シーキャンドル(展望灯台)がある。花の少ないこの季節と、重たそうな曇り空の今日、入場料を払って入る気は湧かなかった。広場南端のレストランの屋上の展望デッキからは、伊豆大島が良く見えた。伊豆大島を見ると、つい数ヶ月前の台風の集中豪雨被害の映像が頭を過ぎる。
 旅館や食堂の並ぶ道を西に向かうと、間もなく下りの階段になり入江の崖が迫る。江の島の山が南北からの浸食に依ってくびれた部分に当たる。下りは余り長くは無く、最狭部を過ぎると、また上りになる、少し階段はあるが、道の両側は食べ物屋が並んでいる。その町並みは100mほど直線に続く。家並が切れたとこらから僅か樹林の中を行くと、江島神社3番目の社殿、奥津宮に出る。唐門に注連縄が張られ、中央に賽銭箱が置かれており、その先は飾り付きの固定柵で閉ざされている。
 奥津宮の位置は、江の島の西端に近いが、観光客の歩く道の終点では無い。奥津宮前を左に折れて樹林を抜けると、再び食べ物屋が立ち並ぶ中を断崖に向かって道が伸びて、ついに急峻な崖を海岸まで高度差50m弱を下る階段になる。階段脇の崖の中腹にも食べ物屋が並ぶ。そして海岸の稚児ヶ淵と呼ばれる海蝕台の岩場に降り切ると、橋が岩場に架けられていて、トンネルへと続く。トンネルの入口に料金所がある。トンネルを通ってまた橋を渡ると海蝕洞の岩屋に通じている。この岩屋の奥に江島神社の起源でもある祠があり、そこが終点なのである。
 子連れで訪れた30余年前は、海蝕台上の橋は無く、崖下を伝う道が付けられていて、肝心の岩屋は落石で立ち入り禁止になっていた。今回は入場可能であったのだが、江の島の後で鎌倉のハイキングコースに行くつもりがあって、海蝕台の岩場を歩いて引き返してしまったが、ちょっぴり後悔している。始めてなので岩屋に入ってみるのも良かったのでは…。
 岩場には磯釣りの人が多く見られた。潮溜まりに何か動物はといくつか覗いて見たが、岩にフジツボがびっしり付いていたのと、1箇所カメノテがあっただけで動き回る動物は見られなかった。植物は濡れた岩に付いている海藻と、崖の途中に咲くツワブキ位しか印象が無い。
 11時7分、海岸の岩場から引き返す。高度差50mの階段は流石に息が上がる。食べ物屋の小母さんの呼び込みの声は無視。上り切って直ぐ、行きには素通りした崖の階段と奥津宮の間に入口がある恋人の丘に立ち寄り、ぐるりと回ってみた。龍恋の鐘の柵にはおびただしい数の南京錠が架けられていて、若者の姿も多かった。園路の近くは多くのツワブキ(石蕗)の花が咲いていた。
 江の島のくびれた所まで往路を引き返したあと、サムエル・コッキング苑前には戻らず、北側の山腹を巻いて瑞心門の階段下に出る裏道を歩いた。飲食店街の生活道路にもなっている様子で、三叉路を折れてすぐのところには沢山のバイクが駐車していた。しかし車の駐車場や折り返し場は無かった。途中、対岸の藤沢市の町並みの展望の良い所があった。
 11時40分、再び江の島弁天橋を渡り、国道134号線の横断地下道に戻った。ここから江ノ電の江ノ島駅に向かう。470mほどの距離の商店街の中の道である。途中のコンビニで、食料と飲料を調達し、11時53分、駅のホームに出て鎌倉行きの電車を待った。



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