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人生いろは坂
梅雨空
2013年05月29日
テーマ:テーマ無し
いよいよ梅雨に入ったようだ。梅雨がなければ稲作はできない。日本の稲作は梅雨と密接不可分な関係にある。
我が家は稲作農家ではないが果樹もあれば野菜もある。こうした農作物も雨が降らなければ実りは期待できない。
さて、梅雨前にサクランボが終わりイチゴも終わりに近づいた。これからは文字通り夏野菜の季節だ。
苗の植え付けが少し遅かったが天候が不順で気温が低かったので遅く植えて正解だったようだ。早く植えた
家庭ではキュウリなどは枯れてしまったと聞いている。気温が低すぎて出来の悪かったものにアンズがある。
全ての花は枯れれてしまい実にならなかった。桃も同じような状態である。出来の良いものもあれば悪いものもある。
これが自然の姿であろう。人の手で何かをしてやろうというのは人間の思い上がりである。所詮、人間のやることなどは
自然にかなうことはない。自然に任せて生きる方がはるかに気楽だし地球にとって害はない。
つくづく人間の存在とは何だろうと考えることがある。本当に地球にとって人間の存在は必要だったのだろうか。
しかし、そのことを考える人間の存在なくして今の世界はあり得ない。何か禅問答のような話になってしまった。
一雨ごとに目に見えて草木は茂っていく。冬から春にかけて茂っていた草は枯れ、夏草が畑を覆い始めた。
草取りをしていても切がない。いっそこのままにしておこうかと思うこともあるが人間の性分というものは
容易に妥協を許さない。困ったものだ。草との格闘というよりわが心との葛藤である。
さて、東南海、南海地震が現実味を帯びてきた。巨大地震にどんな備えが必要だというのであろうか。
すでに資本主義経済は破綻しているのに金融緩和などしてインフレを助長するなどおおよそ馬鹿げている。
アベノミクスなどと名付けて何をしようというのであろうか。経済的に成熟した国家は他の生き方を
模索すべき時である。経済最優先ではなく楽しく生きる生き方こそ探求すべき時にある。
何万年もの間、人間はそのようにして生きてきた。金を追い求めるような生き方は近年のわずかな期間の
ことである。
とりとめのない文章になってしまった。これから少しずつ書いていこう。徒然なるままに。
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