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旅に見たるは 

2010年03月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

旅に見たるは


ガラス戸の向こうに、女性の姿が見え、私は居眠りから跳ね起きた。
芙蓉さんだ。
こちらを見て笑っている。
だから、余計に慌てた。


お顔も上品だが、もっと特徴的なのは、彼女のその、
ふんわりふくらんだ白髪だ。
読み違えてはいけない。
「しらが」ではなく、「はくはつ」である。
そして「きれい」だ。
さらに言えば、その髪から、匂い立つものがある。
ヘア・ローションではない。
形而上の香り、それを簡単に言ってしまえば、「知性」というヤツだ。


私は身づくろいをしつつ、入口に向かった。
たった5坪の店であるから、ほんの数歩ではあるけれど、
気分としては走ってだ。


「ジャムを作りました」
「おお」
そう言えば、春であった。
春来たりなば・・・とよく言われる。
私は春眠を貪ってばかりだが、気の利いた人は、何かを作り始めている。


去年も頂戴しているから、皆まで聞かなくても、すぐに分かった。
芙蓉亭で収穫されたところの、夏ミカンを煮込んだ、マーマレードである。
「甘さは控えめにしてあります。少し酸味と苦味があるかも知れません」


もとより、芙蓉さんのご謙遜である。
手作り食品が、市販品に勝るのは、保存料を使わず、甘味料を控えめにして、
自然の風味を生かす、正にその一点に尽きる。
だから、日持ちしない。
これも大事なことだ。
美味なるものが、その鮮やかさを何時までも保つのは、
むしろおかしいのである。


「まあどうぞ。そこは端近、こちらへどうぞ」
店の奥へと招いて、イスをお勧めした。
飛んで火に入る夏の虫・・・
ここで彼女を、逃がしてなるものかと思っている。


「これ、この通りです」
私は、自分の居住空間を指差して、頭をかいた。
ここで「どーも、すいません」とやれば、
先代の林家三平のモノマネになる。


私は今、中山道の旅に出ている。
その紀行文を書くために、資料として、役立ちそうなものは、
旅先でもらった地図から、飲食した店のレシートに至るまで、
構わず保存してある。
それが積み上がって、私のデスク周辺たるや、他人から見たら、
ゴミ置き場だろう。
いや、身近な人だって、その惨状に、とっくに呆れている。
あきれ果てて、もう何も言わないだけだ。


「何処かへお出かけでしたか」
「はい。昨日は、大宮から熊谷まで、歩いて来ました」
私の、中山道歩きの話になった。


日本橋から、熊谷に至るまでのあらましを、東海道と対比しつつ語り
さらに、これから越えねばならない、碓氷峠の険しかろうことを予測した。
しかし、難路を過ぎれば、楽しいこともあろう。
やがて、軽井沢の爽やかな光景に、会えるであろうことも語った。
芙蓉さんは、それらを、じっと聞いて下さっている。


世の中には、相手の話を途中で腰折り、自分の側へと、
引き寄せてしまう人が少なくない。
特に女性だ。
「あらぁ、風邪?、あたしもそうなのよ。熱はないんだけどね、
咳が止まらないの」
例えばこんな風に、早口で話を取られると、
私なんか、もう何も言えなくなってしまう。


芙蓉さんは違う。
「お風邪ですか? それはいけませんねえ。
どうぞお大事になさって下さい」
ゆっくりとこう言うはずだ。
自己抑制が、ごく自然になされた姿というものは、見ていて清々しい。
私も、見習いたいと思っている。


「どちらか、お出かけになりましたか」
今度は、私が芙蓉さんに聞く番だ。


「先月、飯山線の旅に出ました」
「おや」
「雪の深い時期に、わざわざ豪雪地帯に行って見たかったのです」
「それって、旅の通のやることです」
「ちょうど大雪の降った日でして」
列車は遅延するし、停車する駅ごとに、ホームは大変な積雪で、
その雪越しに見る、対向の列車もまた、
屋根に分厚い雪を載せていたそうだ。
「列車が、細い長い一本の帯のように見えました」と笑う。


「まさか、お一人では?」
「孫と一緒です」
彼女には、中学生の孫がいる。
鉄道マニアと聞いている。
だから、発案者は彼だろう。
芙蓉さん、そりゃ資金提供はしただろうが、それは、
連れて行ったことにはならない。
だから引率者も、やはり彼だ。


「飯山線から、今度は海沿いの、信越本線に回りましてね」
「やりますね」
「柏崎の近くに、『おうみがわ』という駅があります。
青い海の川と書くんですが。
日本一、海に近い駅というだけあって、ホームの下はすぐに崖です」


崖の下には、波が打ち寄せており、そこは日本海であり、
視界を遮るものはない。
山側は、雪の斜面だ。
当然無人駅であり、周囲にも人家はない。
日が暮れると、駅舎の明かりだけになり、虚空には、
海鳴りだけが響いている。


「そこに、二時間ほど居ました」
「・・・・・」
何でそんなことをと、聞くのはヤボだ。
その間、次の列車が、ないのである。


そして、肝心なのは、これは旅行ではなく、旅だと言うことだ。
一見愚行に見られかねないことをやる、これこそが旅であり、
贅沢と言うものだ。
旅はまた、スローな方がいい。
かけた時間に比例して、見えるものが多くなる。


「雪に吸収されてしまうんでしょうね、やって来る列車の音も、
ほとんど聞こえません」
「静かですね」
「ただ、海鳴りだけです」
「目に浮かぶようだ」
「もう、演歌の世界です」


「お書きになりませんか、その一部始終を。エッセイにでも」
「とてもとても、私には」
「もったいないですよ、そんな体験」
「だめです」
「私が代わりに、書いちまおうかしら」
「どうぞどうぞ」


版権を譲り受けたところで、店の戸が開いた。
買い物客だ。
しかしまあ、何という、間の悪さだろう。
「お邪魔しました、じゃあこれで」
掴んで放すまいと思っていた芙蓉さんに、するりと逃げられてしまった。


「パンを買って来ておくれ。今日の昼飯はパンがいい。紅茶はあるよな?」
携帯で、妻に要請した。
もらったものは、すぐに食べる。
日を置かず、感想を言う。
これが私のやり方だ。


薄く切られたミカンの皮が、僅かにその元の色と形を偲ばせつつ、
歯に快い。
爽やかな香りが、風のように鼻腔を抜けて行く。
甘過ぎず、苦きに過ぎず、そのバランスがまた絶妙だ。
「料理は人なり」
その通りだと思う。


海鳴りを聞きつつ、虚空に在ること、二時間。
芙蓉さんと孫は、震えながら耐えていたわけではなく、
むしろ嬉々としていたはずだ。
風景以外の、何かを見たと思う。
それが何であるかは、私には、もちろん分からない。


版権は譲り受けたものの、人様の旅は語れない。
ジャムはありがたく頂戴せよ。
しかし、旅は自分でやるしかない。
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