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ニャンコ座リポート

希望と絶望と祈り (4/18) 

2024年04月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 寝る準備に取り掛かっていたら、又大きな地震の報道があり、もう怖くてなりません。やはり、日本は、地球はもう悲鳴を上げているとしか思えません。愚かな戦争をやっている場合ではないと。 新聞に載せてもらった効果は、ネットをやらない人たちへの生存確認になっています。「元気そうで良かった」と言われても、それ程元気ではないので、ちょっと複雑な気分です。まっ、生きてるし、入院はしてなさそうってことはわかってもらえたでしょう。そんな中、今日はこれから病院です。
 コンサートの公式写真が上がってきています。その中から、演奏者全員が写った物を紹介します。ファーチレは2年後を目指して「ヨハネ受難曲」をやっていきますが、私はとりあえず来月の函館発表会に全力投球です。 今回のソロ曲に関して、私はこんな風にテーマを考えています。 「命をあげよう」は、一見わかりやすい歌詞で、そのまま感情をぶつければ良いようではありますが、ミュージカルの中ではそれで良いのでしょうけど、単独で「ミス・サイゴン」を知らない人も聞いてくれるのですから、激しすぎず、生の感情にならず、1番に思うのは、今自分がキムというより、キムと言う女性がこの世を生きたことを伝いたいという気持ちです。その上で、人は喜んで、悲しんで、悔いて、願って、それでも生きていくんだという祈りを歌いたいのです。だから曲順は、どうしても「アヴェ・マリア」が後でなくてはならないのです。アヴェ・マリアは3番まであって、言葉の関係で微妙な違いはありますが、最後は3コーラスとも全く同じ「アヴェマリ〜〜〜ア〜」で終わります。ところがその「リ〜〜〜」を伸ばす所のピアノの和音が、全部違うのです。同じでも何ら問題はないのに、トスティはなぜそんなことをしたのか。1番は「どの唇からも優しく洩れていた」、2番は「その時私の祈りは虚しかった」、3番は「私を憐れんでください 慈悲深い処女」の後に、アヴェ・マリアが続きます。1番は教会の情景描写の最後に、これから起こる期待を予感させる和音です。2番は憧れの騎士が現れてるのだけれど、それ故に叶うこともないことはわかっているあきらめにも似た和音。そして3番はひたすら祈りの和音になって終わる、のだと感じます。 そうすれば、全く別な曲として気持ちを全て入れ替えなければならないと思っていたのが、キムの人生も昇華させることができるんじゃないかと思っています。本日のネリ心の短歌農業を選んだわけは人にあり  自然のなかで癒されたくて畑仕事組みあげにけり黒あずき  仕事に美あり我のこだわり 畑のワサビを掘ってもらいました。すり下ろして、?油かけて、温かご飯にのせて食べると、も〜たまんないよね。

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