筆さんぽ

自分のスクリーン 

2024年04月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:筆さんぽ

仕事仲間だったAさんの奥さんに道で会った。
奥さんは「お世話になっているので、何かさしあげたい」という。そういえばAさんの仕事をボランティアで手伝ったことがある。

「ビールはお好きですか」
「いいえ、ビールは」と、ぼくは、ビールを飲むとすぐに眠くなるので、書き物をしているときは飲まない、ぼくは多くの言葉を使って、ビールは今の自分に必要ないと返答した。

さらに言った。
ビールのような醸造酒は身体のために控え、もっぱら、ウイスキーやジンなどの蒸留酒を飲っています。

ところが、数日後、ビール券が送られてきた。奥さんは根の賢い人なのだが、「スクリーン」をもっていないのであろう。

スクリーンとは、映写機などから投射される映像を映し出す平面のことで、映写幕、銀幕、投射スクリーンともいう。

たとえば、相手が何か言う。言葉が機関銃のように連続して出てくる。その一語一語に頭のなかのスクリーンが鮮烈に画像として映し続けてゆかなければ、語り手にとっては、聞き手は石の柱にすぎない。そういう聞き手になってしまっては、人生は無味な痩せたものになってしまう。

たとえば、夫婦とも真暗なスクリーンをもっていると、互いの会話がない。
不満がときどき圧力釜のように高まって、ついにはフタが吹っ飛ぶようにして、つまらない新劇のように、怒鳴りあうことになる。

怒鳴ることは相手に動物的な恐怖はあたえても、言語のもつイメージの結像を相手にあたえない。

Aさんの奥さんは、スクリーンがないため、ぼくの言葉を単語だけがところどころ頭に入って、「ビールはいやだ」という文脈ができあがらず、「きっと好きなんだろう」になってしまったらしい。

こういうときは、まさかビールの絵を描いて×印しなければいけないのだろうか。

理解、判断力のおとろえと考えると、認知症のことも考えなければならないであろう。

スクリーンは、つねづね訓練して鋭敏にしておかなくてはならない。
読書をしたり、このブログを書くことも訓練の一つになるであろう。
だだ、テレビ映像という当方にとって受身だけのものに過度に接しすぎると、自分でスクリーンをもたなくなってしまうであろう。

やはり眠くなってきた。
ビールは嫌いではないが、ブログを考え書くときは、飲んではいけない。



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