筆さんぽ

お天気屋さん 

2024年04月11日 ナビトモブログ記事
テーマ:筆さんぽ

「お天気屋さん」のことは、自分でも気付かずにふるまっていることもあり、自戒の意を込めて書くのでお許しいただきたい。

また、決して「特定の方」を指しているわけではなく、あらゆる機会のコミュニケーションをゆたかにするために考えた。


「お天気屋さん」がいる。
お天気屋さんとは、辞書には「気分が変わりやすい人のこと」とあるが、そんなにおだやかなものではないと思う。

お天気屋さんは、はっきりと言えば、「他人をわけへだてする人」のことである。おそろしいことである。

お天気屋さんは、自分に好意をもってくれる人や、その美質に理解をもってくれている人たちを、狡猾にも、見分けている。

そのくせである、そのような「善である他者」に対し、意識して、差別的に冷たくふるまったり、ひどいときには、もう店じまいとばかりにシャッターを下ろし、ダンマリを決め込む。沈黙ほど、いやらしい攻撃はない。
商店だって休むときには、貼り紙ぐらいはするであろう。

もちろん、お天気屋さんは男女ともいる。
仏教には極楽と地獄があるが
カトリックには、中間の「煉獄」があると読んだことがある。

それによると、天国にも地獄にもゆけない霊魂は死後、罪が清められるまでのあいだ、拘置所のような煉獄にとどまるという。
ちなみに煉獄におち入るのは、地獄へゆくほどでもない小罪をおかした霊魂であるそうだ。

ソルジェニーツィンに『煉獄のなかで』(新潮文庫)がある。
これは、スターリン支配下のソビエトロシアにおける特殊収容所を描いた作品。

特殊収容所は、一般の収容所とは違い、様々なスキル持ちを集めて技術の開発を推進させるところである。

原題の意味は聖人たちが収容されるという地獄の「第一圏にて」を意味していて、特殊収容所が他の収容所と比べて地獄であるにも関わらず待遇がよいことを暗示している。

煉獄に収容中の霊魂はつねに内省を強いられる。

お天気屋さんを仲間にもった場合も、煉獄に入れられたようなものである。

ぼくはこの人に対してどんな罪をおかしたのだろう、と思うときがある。

ぼくは、その小罪が思いあたらないので苦しい。

煉獄の苦しみとは、罪が思いあたらぬことでもある

いろいろ書いているハミングバード自体がお天気屋さんだと?
うん、気をつけよう。



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