筆さんぽ

ひょんなことから 

2024年02月21日 ナビトモブログ記事
テーマ:エッセイ

Kさんは、Yさんに恋をした。
挨拶をふくらませたぐらいのやりとりはするが、それ以上は進まなかった。
ところが、「ひょうんなこと」から、恋は飛躍的に発展した。

Kさんは、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を思い起こしていた。
 坂本竜馬とおりょうは、所詮は、馴れあいの仲であった、寺田屋事件がなかったならば、ついにおりょうとの仲はそれっきりで飛躍も発展もなくおわったであろう。
(司馬遼太郎『竜馬がゆく』)

 Yさんは、商店街のごくふつうの喫茶店で、アルバイトをしていた。Kさんは、その喫茶店でYさんを「見初めた」。Kさんはお酒が好きだが、毎日、コーヒーを飲みにその喫茶店に通った。酒好きのKさんが喫茶店通いしているので、Kさんの友人たちには、その目的が「バレバレ」であった。

 Yさんが「遅番」の日、Kさんは、喫茶店が閉店してから、Yさんを送っていこうと、コーヒーをお代わりしてねばった。閉店間近、Yさんは、帰り仕度をはじめた。Kさんはドキドキした。そのとき、喫茶店のドアが破られたように勢いよく開いて、日焼けした体格のいい男、Tさんが入ってきた。

「やぁ」とTさんはYさんに合図した。そして、こう言った。「外で待っているよ」。Kさんはうろたえたが、Yさんへの恋心はライバル登場で、ますます燃えた。やがて、Yさんは、いそいそと出ていった。Kさんも二人を追うようにして店を出た。

Kさんの前を二人が歩いている。Tさんを後ろから見ると、プロレスラーのように大きく見えた。どうしよう、ここであきらめたら一生後悔するぞ、生きている意味もなくなるじゃぁないか。

Kさんは、ここで死んでも本望だと、後ろから、Tさんに、太くした声を投げた。「おい、Yさんは、ぼくが送っていくよ」

「そうか、じゃぁ、たのむ」。
「?!…はい!…」Kさんは、緊張で身体中に張り巡らせた針金が溶けるようにふにゃふにゃと崩れていくのがわかった。

男女の仲というのは、多分にこのひょんなことで出来あがる。坂本竜馬とおりょうの場合、あの事件が「ひょんなこと」であった。とすれば、群がって襲来した百人の幕吏こそふたりの仲人になったわけである。
 
Kさんは、この「事件」以来、Yさんを毎日家まで送っていった。そのうち、Yさんの家に上がるようになったが、Yさんの父は下戸で、Kさんは、和菓子と煎茶の「夜の茶会」で接待された。何年かのち、KさんとYさんは結ばれた。

 「プロレスラー」のTさんは、喫茶店の店主の弟さんで、「遅番」の女性を送っていくのが「仕事」であった。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR







上部へ