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句点ハラスメント (2/18) 

2024年02月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 先日の事、知人のFacebookを見て、びっくりすることがありました。
主に、ラインでのことだと思われます。文章の最後に付ける「。(マル)」……そのマルの受け取り方に、世代間で“ギャップ”があるようです。上司から来たメッセージの最後のマルが「怒って見える」若者がいるそうです。区切られてシャットアウトされている印象がある。会話が続けにくいと感じるそうです。それを「マルハラスメント」「マルハラ」と呼ぶらしいです。は〜〜〜〜っ???そんなん、知らんがな。文章の最後に句点を打つことは、あまりに自然の事で、もちろん自分では付けますし、着た文面に付いていないと、落ち着きません。高校の時に、現国の先生が、私の書いた文章を「文法的に、きっちりと書かれている。内容が1番大切だけれど、このようにきちんとしている文章も評価されるべきだ」と褒めてもらったことがあり、今もブログを書く時は、間違いのない文章を書く道しるべになっています。改めて、ラインを見ると、あらやだ。私にはそういう世代の、良くやり取りする人がいなくてわかりませんでした。息子は付いていませんが、それは単に、面倒くさいだけだとわかっています。たまたま会った友人に、調べてもらったら、「。」の無い人がけっこういました。それも若くない人にも。ラインは原則、短文のやり取りなので、句点が無くてもわかるかもしれませんね。問題は、相手の句点にハラスメントを感じることです。全くの過剰反応です。付けた方にはその意識が無くても、受けた方が「マルハラ」と感じたら・・・いくらなんでも、それはないでしょう。それを言うなら、私はマル無しハラスメントを感じます。句点は無い方が良いケースもあります。かぎかっこ内の文末(かぎかっこを閉じる直前)の句点「。」は省略します。すっきりするので、という理由です。面白くなって、悪乗りして調べました。英語には、カンマ「,」とピリオド「.」があり、なおかつ分の初めが大文字になります。中国語にも、ハングルにも、句読点はあります。俵万智さんが、こんな歌を詠んでくれたそうです。優しさにひとつ気がつく ×でなく○で必ず終わる日本語本日のネリ心の短歌畑仕事収穫終わりハウスにて  小豆選別暮れの秋なり街路樹も紅葉進み美しき  次は散るだけ秋深むなり 枯れるのかと思うと、忘れたころに咲いてくれるハイビスカスに、励まされます。

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