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ニャンコ座リポート

親ガチャはまちがい (1/28) 

2024年01月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 夜明けも着々と早くなっていて嬉しい。7時少し前、西の空に、沈みゆく十六夜がくっきり見えました。お天気は上々です。 新聞に「何のための教育無償化か」「目指すべきは機会均等」のタイトルがあってので、読み進めながら、ホ〜ホ〜・フムフムと思っていたら、書いているのは前川喜平さんでした。どうりで。 教育基本法は、経済的地位による差別も含めて、教育上の差別を禁じているのに、高等教育機関への進学率は、経済的な理由によって不平等が歴然としていますって。 「親ガチャ」と言う言葉がありますね。どんな親の所に生まれるかで、人生が左右される。それはとても納得できますが、1つ大きな間違いがあると、息子に言われて気が付きました。そもそもガチャガチャは、自分の意志でひくという行為を行うのです。ガチャは、ピストル突き付けられているわけじゃあるまいし、嫌だったらやらなきゃ良いのです。この世に生まれること自体は、全く自分の意志ではないのですからね。 うつ病の息子に、「こんなに苦しいのに、なんで生んだんだ」と言われた時から、ごもっとも、仰せの通りと思っています。息子の意志を確かめないで、勝手に生んで、すまなかった。息子は生まれてくることを選び、ガチャで私を引き当てたわけではない。だから、親ガチャではなく、しいて言えば子ガチャが正しい。少なくとも親は、子供を持つと言う決断をする。時にははずみ、手違いもあるけれど、必ず心当たりがあり、産もうと決心するのは親ですから。 私は愛情ある両親のもとに生まれ、裕福ではないけれど、苦労していないコンプレックスがあるような人生だったけれど、今は時々しんどいです。しんどさ抱えて生きる意味を考えます。生まれてさえこなければしんどくないんです。その分、たくさんの幸せも味わえなかったって?大丈夫、存在しないってことは、生れていれば幸せだったのに、って残念がる私はそもそもいないのですから。 生きるのが辛かったら、親に産んでくれてありがとう等、口が裂けてもあり得ないでしょう。だけど、ちょっと考えてほしい。出会いに恵まれた時、その人を生んでくれた人に感謝の気持ちがわきます。それで良いのだと、天才バカボンのママ思はいます。 息子の次回公演は「12人の生まない日本人」です。本日のネリ心の短歌裸木にもたれて遠く海をみる波頭たてりて平らかならず冬大根サクサクサクと刻むなり朝げの支度子らの為なり お隣の子供さんたちは、運動能力高そうで、下のぼくは寒空の下でバットを振っています。パパがつきっきりで指導しています。

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