筆さんぽ

自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ 

2024年01月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:筆さんぽ

芸人の不祥事疑惑が紙面やネット界隈をにぎわせている。
人間は、三十を過ぎれば、
誰でもものの考え方や感じ方、
さらにはモラルを含めて
思考と感覚の基本機能が
できあがるといわれている。

ここで、教科書などにも取り上げられている
「わたしが一番きれいだったとき」の詩人
茨木のり子(1926〈大正15〉年- 2006〈平成18年〉年)さんに
ご登場願うことにした。

「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



茨木のり子さんの私生活は、弟が先に他界し、
かつての詩人仲間が一人,二人と
世を去るのを見送った。

けれども、茨木のり子さんは、
孤独感をものともせず、
1999(平成11)年に73歳で
『倚(よ)りかからず』を発表するなど
詩への創作意欲は衰えなかった

「倚(よ)りかからず」

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

歳を重ねるたびに、茨木のり子の詩を読み返すようにしている。茨木のり子のように、椅子に背をあずけて、のんびりと。



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