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筆さんぽ
「円の中心に立たない」ということ
2024年01月12日
テーマ:筆さんぽ
お酒というと、ぼくは学生時代の安酒からスタートした。合成清酒といわれるもので、安く清酒のような風味もしたので、ふところには合っていた。しかも場末のその店には、「タクワン二切れ20円」というツマミもあったから、友人と割り勘としても、バイト生活相応ということになる。
バイトの帰りに寄ってほろ酔いになり、下宿の暗い部屋に戻ってちょっと眠り、しばらくしてから這い出して、知人がいるジャズ喫茶でチャーリー・パーカーを聴きながら本を読み、目が冴えてくると本を閉じて、店を出て、屋台で安い酒を飲む………というぐあいの毎日を過ごしていたように思う。
たまに、板前さんのいる小料理店にお呼ばれして、美しいボトルの吟醸酒などを飲むと、一口で、とてつもない相違がわかって、目がテンになるのであった。
学生時代の酒の品位がこれだとすると、これから上の品位は際限がなく、つくづくと身にしみることになる。
一社会の品位をことごとく最低の安物がどれだけ上物であるか下物であるかを判定してはどうだろうかなどと考えた。
「円の中心にいると、中心がみえないけれど、円周にいればかえって中心がみえるはずだ」といった意のことを何かで読んだが、これである。
その伝でいくと
新聞の水準は社説ではなく、匿名の投稿で、雑誌の水準は無署名のコラムで、ワイシャツはボタンで、家はトイレで………といったぐあいである。
タイ料理のコック長は弟子の腕を、トムヤムクンやタイカレーではなく、ただのパッカナー(葉もの野菜)炒めでみるときいたことがあるが、それでいくのである。
巻頭論文や社説ではなく、マンガや匿名欄で、新聞なり雑誌なりの質を考えてみるのである。
このサイトの質をみるには、やはり匿名(ニックネーム)の「部ブログ」だと思うがどうであろう。
いま世間を騒がせているあれこれのニュースをみて、こんなことを考えた。
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