モノローグ

「ガンジー自叙伝〜真理の実験〜」 

2023年11月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:読書

ガンジーというと先ず頭に思い浮かぶのは、痩せて白い衣装に身を包み、丸メガネをかけている写真の姿だ。
インド独立の父としてマハトマガンジーと呼ばれ、非暴力を提唱し、多くの人達の信頼を得ていたようだが、最後には暗殺された。
私は今までこの程度の知識しかなかった。

先のブログに遠藤周作の「深い河」を読み返した事を書いたが、その時にインドという国やその独立に貢献したガンジーについて少し知りたくなり、ガンジーについての簡単な解説本を読んだのだが、そこでいままで持っていたイメージとちょっと違うガンジーを知り、ガンジー自身が執筆した「ガンジー自叙伝」を読んでみたくなった。

手にした本は図書館で借りてきた翻訳本だけれど、読書から離れていた身にハードカバーで600頁余りの本はかなりハードルが高く、途中飛ばし読みをした個所もずいぶんあったけれど、読み進むにつれてインドの内情やガンジーの人柄、またその家族の事などについて興味深い記述もあったので、最後まで何とか読み切った。

特に印象に残ったのは、ガンジーが決して聖人君子ではなかった事だ。
30代に入ってから禁欲主義を貫いたが、13歳で結婚し(この児童婚は当時のインドの慣習によるもので、親が決めた相手と結婚)、青年期には性欲や妻への嫉妬心にさいなまれ、父の臨終時にも妻と性行為中で死に目に会えなかった事に激しく後悔したからという。

加えてガンジーも若い頃は「ヒンズー教徒の妻は夫への全面依存こそ貞操の証」、「妻は夫の肉欲の器に過ぎず、どんな命令にも素直に従うように創造された夫の隷属物だと信じて暮らしていた」という。
宗教の違いとはいえ、今の日本社会では考えられないが、イスラム圏では今もこの発想は一部残っている。

またガンジーは様々な人達を家に連れてきては妻達にその世話をさせていたが、妻は不満を持っていたようで、時には我慢できずに怒りを爆発させていたようだ。
「あなたへの奉仕は私も致しました。あなたは夜も昼もわたしをこき使いましたが、あれは奉仕ではなかったですか?私を泣かせながら、誰から構わず家に住まわせ給仕をさせた」とはガンジーの妻が泣きながら訴えた言葉。
これらをガンジーが隠さず書いている所も面白い。

喧嘩もよくしたようだ。
ガンジーは最後には妻は理解していると書いていたが、ガンジーの妻も本を書けたとしたら、ガンジーもビックリのシリアスな内容だろうと想像してはほくそ笑んでいる^^

意志が強く、食事に関しても菜食主義や断食に拘り、命の危険レベルの病床にあっても、滋養のある肉のスープや牛乳を口にしなかったというから、周りの人達はその頑固さに辟易した事だろう。

ガンジーはヒンドゥー教徒でありながらイスラム教徒やキリスト教、仏教にも関心を寄せて他宗教を否定することなく理解し、宗教の垣根を越えて対話を呼びかけ続けた偉大な政治家であり宗教家であるけれど、欲に迷い、判断にも迷ったからこそ自身を厳しく律し、常に真理を追求していったのだろう。

今ガンジーが生きていたら、ウクライナやイスラエルの状況をどう思うだろうか…。



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「真理」かあ。

fossileさん

「ガンジー」に限らず、

私がいつも思うのは…この手の人
傑出した人物なんだろうけど
世の人々にとって、ホントに良かったのかなあってこと。

100年後にはプーチンが英雄かもね、ロシアの人にとって笑

2023/11/20 06:57:01

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