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たかが一人、されど一人

補助の次は介護 

2023年11月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 政治絡みで岸田政権辞任ドミノをおちょくろうかと思ったが、バカバカしすぎてやめた。今日は昨夜8時間も寝たので、少し頭がまとも。他人の悪口もいいが自分のことを反省する必要がある気がする。明け方見た夢のせいもある。ある意味で悪夢でもあるが、どこかでさんざ遊び疲れての帰り道。道に迷って変な所にでてしまった。見えるのが下りの階段、人がゾロゾロ降りていく。一見するとわが最寄り駅に繋がる地下鉄の階段かもしれぬが、どう見ても見た覚えがない。ひょっとすると地獄への階段かもしれないなんて不吉な思いも・・・ なんてところで目が覚めた。時計を見たら丁度朝の4時。少し早いが起きてしまった。最近朝夕、服を着替えるたびに思うことがある。出来るだけ立った状態で着替えをしたいが、どうも上手くいかない。柱に寄りかかったり、手を添えたりする補助が必要になってきている。靴下も立ったまま履けていたのはいつまでだったか思い出せないが、やはり今は補助が必須の要件。幅90センチの2階への階段も、手になにか持っての上り下りがかなり危険なほどよろめくことが多い。今朝のNHKBS1で昨日のクローズアップ現代の再放送「ビジネスケアラー」をなんとなく観てしまった。三男であること、ずっと家族と離れて東京在住であったことを理由としたわけでもないが、90歳過ぎまで長命を保った両親の晩年の介護の苦労はせずに済んだ。家内とは後期高齢者になる前頃から老々介護について冗談を言い合ったが、家内は齢70歳で他界してしまった。現在独り身の侘しさを思うこともあるが、テレビを観ながら、そんなことより我が身の末を考えるべきだとの思いに至った。両親が共に90才過ぎの長命だったので、俺もなんて考えていたが、果たしてそんなことが許されるかどうか、自分にとってもハッピーと言えるかどうか大きな疑問が湧いてくる。正直なところ、これまで余り他人様にご迷惑もかけず、そこそこ満足できる人生を過ごせたと思っているので、いつお召があっても仕方ないが、時機は自分で決める訳にいかない。今の願いはいつかではなく、近い将来に必ず来る要介護期、なんとか子供たちの手を煩わせたり、心配かけずに行きたちことだ。

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