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たかが一人、されど一人

自己流、無資格 

2024年05月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 この歳になってつくづく思うのは、何事も自己流でよくここまで来たものだと言うこと。一応大学までの卒業証書だけは持っているものの特段の資格らしきものは皆無だ。嘗ては持っていた運転免許すら既に無い。40歳前後に囲碁を覚えた。それも本屋から購入した初級者向け入門書で覚えたものだ。当時大阪に居たが、得意先の専務が「支社長、それは結構な話、一緒に勉強しましょう。」と誘ってくれた。彼は大金持ちだから多方面に顔が利く。早速彼自身が所有する谷町のマンションで月に1回囲碁の勉強会を立ち上げてくれた。先生は関西棋院の事務総長だった大先生。謝礼が1回10万円だったと記憶する。そのほかに夕飯代も掛かるのでと、彼の子分みたい人を一人誘い込み、毎月の会費を3万円にしてもらった。先日書いたように、こちらは月に交際費を50万円ほど使えたので、費用は交際費で落とし、会費が少し安い分先生の送り迎えを担当したことを記憶している。大阪には6年近く居たので、他に碁会所に出入りしたり、他の得意先の人と囲碁の勉強会をしたりして結果的に初段の免許証を貰った経験もある。しかし、40年以上経った現在は、その免許証は無くなってしまったし、東京に戻って既に40年、現在でも月に1度は中国プロ棋士の指導碁を受けたり、ネット碁をしているので有段者の資格が無いことは解っている。長年多くの指導を受けながら上達しないのは、自己流の下地があるからかもしれない。似たようなことは他にもある。例えばスキー、これも小学生時代から長いことやって、大勢の今で言えばプロ級の人から教えを受けた。しかしそれは極めて短時間のことばかり。師事させてもらったとは言えないだろう。当然であるがどの教えもモノにはなっていない。いつまでたっても自己流だから一人前にと言えるには程遠い。山歩きもそうだ。高校同期生に長野県山岳協会会長で全国でも相当な人がいるが、個人的には山に同行させてもらったりしたが、彼の主催する山岳会に入会して修行するまでには至らなかった。ひょっとすると修行が嫌いなのかもしれぬ。パソコンも同じだ、最初始めた時はキーボードのタッチを覚えなくてはと思ったりしたが、結局これも挫折。毎日打ち間違いを繰り返しているし、キーの意味が解っていないところも多分にある。自己流は資格が取れないのは勿論、満足感も得られないが仕方がない。あと数年で人生そのものが終わる。

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