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八十代万歳!(旧七十代万歳)

水曜日はカフェに行きたくなります。______諦めてはならない事と、諦めるべきこと。 

2023年11月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

沢山書いておいたのにぜーんぶ消えちゃいました。


水曜日はパルカフェに行きたくなって、でも出かけるのに手こずって1時を過ぎていたでしょうか。
ヘルパーさんのご主人が、お友達を紹介してくださいました。
学校図書館の司書などなさって地域で活動されている女性です。
名刺には学校図書館お助け隊 とあります。
4人でお話が弾みました。私は洟垂れ小僧様を語り、聴いていただきました。
パルカフェは楽しいから水曜ごとに行くでしょう。雨でなければ。
マッサージに遅れないよう私は3時過ぎに失礼しました。
お店で味わったのは、胃の具合が悪い人に特別のスムージー。美味しかったです。

ここからは昨夜考えて書いたことです。


92年生きて、諦めたことは山ほど。諦めないで今も楽しんでいることが「語り」です。表現者でありたい。それが私の願望でした。


ライターになりたかった夢は96歳の遺言と言う、女性の一代記を聞き書きして、それがネット上で絵本や紙芝居にして頂けたことと、ブログを毎日書くことで、まあ満たされました。
文章を習ったことは全くないし文法は全然知りませんが、勘だけで書いています。文法を無視しているかも知れないのですが。
語り手や朗読者をやり続けることで、声に出して読める文章が書けるようになったのかも。


それ以外「ケースワーカーになりたい」夢はボランティアでだけ実現しました。
24歳頃、路線バスの車掌をしながら、BBS会員として、保護司さんと共に特別少年院を出た背の高い少年を担当。彼が20歳になるまで、問題を起こさないよう寄り添いました。
私は学歴小卒なので、本職にはなれなかったけれど、やりたいことはやりきったと思います。


その後は朗読と語りがしたくて、各地のハンセン病療養所の盲人会の人々と、録音テープで交流しました。当時高価だった録音機。給料の1.5倍以上の33000円で無理して買ったのを鮮明に覚えています。色々な音声のサービスが始まるまで「茶の間の声」という私のテープは、全国12のハンセン病療養所の盲人会を回っていました。
テープはNHKのお古をいただきましたが、テープレコーダーは故障すれば五反田のソニーまで、重たい思いをして1人で運び、修理代を節約していました。
カセットテープができる前の7インチリール時代のお話です。直径18センチくらいある大きなリールテープでした。カセットが登場した時いきなり小さくなったので、びっくり仰天しました。今度はレコーダーも安くなっていました。
それからはボランティアも楽になりました。
そして今発するFMに声を届けるのはiPad mini だけで用が足りています。時代は変わりましたね〜〜〜


三芳町に移住した事で、76歳から「語り」を始めることができました。
15年余り、地域の語りグループで活動させて頂きました。
今は難病の為集会に通えず辞めましたが、楽しいお仲間でした。
歴史民俗資料館の古民家で、コロナの前年まで、毎年夜語りに出演出来て楽しかったです。
そして、私の命綱が、地域ラジオ発するFMの民話番組です。「ひさこばあばのむかしむかし」毎週金曜10時から。再放送が日曜14時半からの30分番組です。入院した時以外、5年半休まず続けております。
ボランティアで奉仕している気分ではなく、表現させて頂けているという、感謝の気持ちが大きいです。
それもこれも、やらせて下さる方があっての事。人とのつながりにいつも感謝しています。
周りの人に恵まれ続けたお陰様で、私は自己肯定感を失ったことがないのです。


自己肯定感を、持ちにくい時代だそうですが、それだけは持っていないと困ります。
みんなが自己肯定感を持てるよう、教育現場などではしっかり支えていただきたいですね。

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