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ニャンコ座リポート
灼熱の町に千の風が吹く (8/23)
2023年08月23日
テーマ:テーマ無し
ニャンコ座町は、えりもほどではないですが、札幌などと比べるとやや涼しいので、冷えがちな私は、負け惜しみではなく、この暑さを苦痛に感じてはいないのです。上手に窓を開けると、風が通り抜けます。エアコン購入の予定は今のところは無いです。 でも暑さの記憶は連動していることがあります。2010年8月30日、認知症の母は、肺炎を繰り返すようになり、最後は鼻からの栄養のみの寝たきりになり、コミュニケーションもとれない状態で、80歳を前に帰らぬ人になりました。死亡届を出して駐車場に戻った時(私はまだ健康でした)に、私の影がアスファルトに焦げ付くんじゃないかと感じるほどの残暑でした。火葬の煙が、〆の夏空に上っていくような気がしました。 去年の7月5日、お義父さんが100歳の天寿を全うしました。 雷鳴や若き女性のおくりびと 百寿の義父の仕度整う 空調のきいた立派な斎場で、お義父さんを見送りました。湯かんの時に、窓の外がすごい雷でゲリラ豪雨で、まだ若い夏が自己主張しているような気がしました。 四十九日は、ちょうど1年前の8月21日でした。法要自体はエアコンが効いたところでしたが、その後義妹の家にみんなで移動して、人が多いだけで暑くて大変だったのを覚えています。 そして今年、お義母さんの命を少しだけ縮めたかもしれない暑さの中で、お義母さんを見送りました。火葬場に着いて車を降りた際、思ったより強めの風に、思わず青い空を見上げました。待っている間、母の時も、お義父さんの時も、そして今日も、暑かったねぇと、シミジミ言い合いました。 不謹慎かもしれませんが、お盆に義父さんが帰ってきて、もう良いよ、お疲れさんといっちゃんと一緒に、風になって迎えに来たのかもしれないと思いました。 お香典返しに付いていた〜子供たちより〜のあいさつ文を抜粋します。母は、優しくて働き者で、誰からも愛されるばあちゃんでした。いうも皆の中心でニコニコ笑い、何かあれば快く手を差し伸べてくれる、とても面倒見が良くて温かな心を持った女性でした。きっと苦労を知っているからこそ、その思いやりや絆の大切さを、誰より理解していたのでしょう。(略)注いでもらった惜しみない愛情を、生涯忘れることはないでしょう。私たちも力いっぱい人生を生きていきますので、待っている家族(お義父さんといっちゃん)とゆっくり休みながら見守ってほしい・・・今はただそう願うばかりです。 義妹は、棺の扉を閉じる瞬間に「生んでくれてありがとう」と言いました。この言葉は、ここで言うものだと、思いました。 牧野さんの俳句を上の句にして、短歌にしてみた。 りんご花弦の調べに揺れ踊り ユーモレスクが風にとけてく
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