読書日記

『たちどまって考える』 <旧>読書日記1399 

2023年06月25日 ナビトモブログ記事
テーマ:<旧>読書日記

ヤマザキマリ『たちどまって考える』中公新書ラクレ

今から10年ほど前『テルマエ・ロマエ』というマンガが一世を風靡し、映画化もされてブームとなった。私自身はマンガも読まず、映画もしばらく経ってからTVで放映された物を断片的に見ただけであるが、語学に堪能な友人の一人が「(漫画で)使われているラテン語が正確だ」と褒めていた。

さて、その『テルマエ・ロマエ』の作者が本書の著者である。著者は1967年生まれで、1984年、17歳の時にイタリアに渡りフィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。その後、一時日本に帰国するがイタリアに戻り、エジプト、シリア、ポルトガル(リスボン)、アメリカ(シカゴ)で暮らして2013年にイタリアに戻りパドヴァに在住。現在は日本へ一時帰国のはずがコロナ禍で家族が住むイタリアに戻れないらしい。

本書はそうしたコロナ禍で家に閉じこもり、旅にも出ずに歩みを止め、たちどまったことで見えてきた景色について書いてみたということだ。

第1章 たちどまった私と見えて来た世界
第2章 パンデミックとイタリアの事情
第3章 たちどまって考えたこと
第4章 パンデミックと日本の事情
第5章 また歩く、その日のために

という構成であるが、読んで見てややイタリア人寄りの感触はあるものの客観的であり、それなりの知識と教養と自分で考えることの大切さを感じた。著者に対して「漫画家のくせに」という反応を示す人がSNSなどで散見されるそうだが、著者も言う通り、短絡的・一方的な思い込みによるものだと思う。

一つだけ例を挙げれば、第3章に「なぜ日本人の内なる”広辞苑”は薄いのか」という節がある。
自分の内なる辞書を分厚くすること、つまりボキャブラリーを増やし手知識や教養を深めることは、会話や議論を豊かにするだけではなく、視野を広げ、思考力や想像力をも逞しくし、ひいては生きる力そのものを強くするということだ、という主張は正統なものだと思った。

印象だけの話で検証している訳では無いのであるが、最近の日本では、表面だけで薄っぺらい論説が多くなっている様な気がしている。後ろめたい意図を隠し表面だけ取り繕った政治家の言説であるとか、評論家とも言えないようなレベルの若い人、ひろゆきとかホリエモンとか言う人の評論的な物言いとか・・と言うか、ネットで広まるその様な言説が目立つようだ。私は見出しだけ見てスルーするから内容については判らない。

本書は正直に感想を言えば「軽い」印象を与える部類の本である。が、内容の所々に深い根っこに基づくものがあり、自分の力で考えていることが判る本であった。
(2020年12月7日読了)



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