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読書日記
『エレジーは流れない』 読書日記174
2023年03月26日
テーマ:読書日記
三浦しをん『エレジーは流れない』双葉社(図書館)
舞台が海と山に囲まれた温泉の街。一大リゾート地であったのは過去の話で、今は寂れたしかしその分のどかな温泉街。町外れの山の上には観光用に建てられた城があって、と書けばこれは熱海のことだなと誰でも判るだろう。さらに、私と同年配あるいは少し年上の方ならば題名のエレジーから浮かぶのは『湯の町エレジー』であろう。
ところでエレジーとは悲歌。哀歌。挽歌(ばんか)のことで原語のギリシア語では死者を悼む詩であり、転じて哀愁を歌う詩を指す語として理解され用いられている。
それはさておき、内容紹介によると
海と山に囲まれた餅湯温泉。団体旅行客で賑わっていたかつての面影はとうにない。
のどかでさびれた町に暮らす高校2年生の怜は、複雑な家庭の事情、迫りくる進路選択、
自由奔放な友人たちに振りまわされ、悩み多き日々を送っている。
そんななか、餅湯博物館から縄文式土器が盗まれたとのニュースが……。
ということになるのであるが、最後の「……」に続く事件がある様な無い様な小説であった。悪く言えば、起伏が無く退屈。もう二度と作者の新作(本書は2021年4月に刊行)は読まないとか、作者の感性が衰えたのでは無いかという感想までがあるぐらいだ。
ただ、「感動もないし、ハラハラ。ドキドキ感といった刺激もない」という感想には異議を呈したいと思う。果たして「ハラハラドキドキさせて、最後に主人公が成功し(目標を達成し/悪が滅ぶ、など)カタルシスを味わう」だけが小説だろうか?と言うか、その様な刺激しか求めずかつ感じ取れないこと自体が問題ではなかろうか?
主人公の穂積怜は高校2年生、佐藤竜人(リュウジン)、森川心平、ジミーこと丸山和樹らと仲間であり、話全体は男子高校生たちのおバカ物語と言って良い。そしてその怜には父親がおらず、母親が2人いる。この母親たちの一方である寿絵と月に3週間暮らし、もう一方の母親伊都子とは山上の豪華別荘で月に1週間暮らす。この異常な状態について説明は無い。
例にとってはものごころ着く前からの生活であり、二人のうちどちらが怜を生んだのかすら知らない。聞いたことがないし、寿絵も伊都子も何も言わないから。そして怜は真実を知りたくなかった。知って二人を比べてしまうのが怖いからだ。
作中では怜はいろいろなことを考える。だが、周囲の様子を伺い、それに合わせて生きるのが怜の生き方であり望みである。針路についても、将来の望みについても、友人たちについても漠然とした不安を抱いているが、そうした不安を意識することも無い。つまり、怜は漠然とした生き方をしていて、それを望んでいるらしいのだがそのこと自体が無意識の不安となっている。そして、題名の『エレジーは流れない』というのは絶妙の題であることが、読了後にはっきり判る。
付け加えると、この本の表紙絵は面白い。作中のエピソードが描き込んであるのだ。情景描写に書かれた「一方が欠けた夫婦岩」までもが見返しに出ているのだ。読み始めにはなんということもないただのイラストが読み終わってみると本の内容の全体図を示していた。
(2023年3月17日読了)
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