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『教育は何を評価してきたのか』 <旧>読書日記1354 

2023年03月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:<旧>読書日記

本田由紀『教育は何を評価してきたのか』岩波新書

なぜ日本社会はこんなにも息苦しいのか、という問いが著者の出発点であろう。

学力、生きる力、人間力……私たちは「どんな人」であるべき?
<日本にはいくつもの「異常さ」が見いだされる。異常に高い一般的スキル、それが経済の活力にも社会の平等化にも繋がっていないこと、そして人々の自己否定や不安の異常なまでの濃厚さ……日本において、人間の性質を垂直的序列化及び水平的画一化によって捉える見方が浸透してしまっている(第1章より)>
という帯の惹句が著者の考え様としていることであり、「垂直的序列化」と「水平的画一化」というふつの言葉を軸にして、教育目標として使われる「能力」「資質」「態度」という3つの言葉を対象として考察していこうとする本である。

本書の構成は
はじめに
第1章 日本社会の現状
第2章 言葉の磁場
第3章 画一化と序列化の萌芽
第4章 「能力」による支配
第5章 ハイパー・メリトクラシーへの道
第6章 復活する教化
第7章 出口を探す
おわりに

ここで「垂直的序列化」とは、相対的で一元的な「能力」に基づく選抜・選別・格付けを意味している。また、これはその逆説的帰結として「能力」の絶対水準の高度化と上位への圧縮をもたらす。そして、「能力」という言葉と垂直的序列化は不可分の関係にある

また「水平的画一化」とは、特定のふるまいや考え方を全体に要請する圧力を意味している。具体的には顕在的・潜在的な「教化」の形をとる。そして、この逆説的帰結は、一定層の排除をもたらす。この水平的画一化と不可分な言葉は「態度」および「資質」である。ちなみに「能力」という言葉は「メリトクラシー(meritocracy)」の主要な訳語として定着しているが、このメリトクラシーという用語の意味と使い方が日本と他国では大きく違っている。日本ではとにかく「能力」があるものが勝つという考え方(極端には学歴は能力を反映しない)であるが、例えばイギリスでは教育歴と公的資格(のみ)が地位を決める、と考える。

日本において人間の「望ましさ」についての垂直的序列化と水平的画一化を生み出してきたのは、法律・政策・制度とその中で普及・定着してきた「能力」「態度」「資質」という「望ましさ」を言い表す言葉の確立と普及、そしてこれらの環境条件の中での人々の「合理的な」行為の集積と言葉と社会間の相互作用である。

この両者の支配のもとで、過少となっているのが「水平的多様化」であるが、これは水平的画一化とは反対の概念であり、これをもっと求めるべきでは無いかというのが著者の考えである。

著者は、人間は言葉を通じて周囲や自身を把握し記述する。広く使われている言葉そのものが、周囲や自分をそのようにしか見えないようにする遮眼帯になっているのかも知れない、と記す。

なお、文化を大きく物質的文化と制度的文化と精神的文化の3つに分ける考え方があるが、その中で言葉は制度的文化に分類される。それ故に著者のターゲットである「能力」「資質」「態度」という3つの言葉を追求する視点は大いに理解できるし、上の「遮眼帯」というのも良く判るたとえであった。
(2020年8月1日読了)



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