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ニャンコ座リポート

なぜ生きるのか (3/9) 

2023年03月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 相変わらず「真武湯」と「ナイトリペア」の効果はわからないまま、でも悪化はしていないかも、丸1日寝込むことはあれ以来ない、と思い込もうとしています。
 だるいです。どんなに、誰に訴えても、同じ症状の人以外には、だるさを深刻に受け止めてもらえるのは無理と、あきらめています。何年も付き合っている人に「どんな痛さ?」なんて言われた日には「痛くなんてな〜い」と、ぶん殴りたくなります。 「だるさ」なんて「痛み」に比べたら、市民権ないよね・・・と私も思わないわけじゃない。たぶん「痛み」は命と直結するけれど、「だるさ」ですぐに死ぬことはないと思う。 でもだるいんだ。腕いらない、脚はずしておきたい。声が出てしまいます。唸るんです。こんな様態で生きるなんて、拷問に等しいと感じる時もあります。 人はなぜ生きるのか、時々考えていました。きっと人のために生きるんだろうと思っていました。「役に立つ」なんて大げさなことではないです。人は何らかの影響をしあって生きている、それは欠けてはいけないなんてね。でもその時点での私は、大して辛いこと、苦しことを体験してはいなかったのです。今は、だるさマックスの時には、これから先のどんなに楽しいことを失っても良いから、もう人生終わって良いと思います。 息子に「どうして生んだんだ?」と言われて、息子の承諾も得ず、こんなに苦しめるために生んだんじゃないと心底悔いました。息子に恨まれても仕方ありません。息子はうつで死にたい時、友達に自分のために死なないでと言われて、怒りがこみ上げたそうです。あんたのために、生きて苦しみ続けるのはごめんだと。だから、人は人のために生きているのではないと、考えを変えました。さすがに、こんなにだるくて辛いのは、両親が私を生んだせいだとは思っていませんどね。でもこの世に生まれていなければ、この辛さは無かったのは事実です。だるくなくて良かったと思う私もいないのですが。 「生かされているのだから、精いっぱい生きよう」とは、全然思えません。その考え方は、自分を納得させる方便だと思っています。朝起きたら生きているから、とりあえず1日を始めよう。やりたいことだけ、楽しくやろう。それだけです。 どうです?こんなことを考えるほど、私はだるいのです。しんどいのです。だから、とても苦しかったろうに、「死にたい」と言わないで、「まあまあの人生だったよ」と言って死んだいっちゃんは、すごい人だと思うのです。 本日のネリ心の短歌秋雨に濡れて帰るは君の部屋  タオルで拭う髪艶めいて風ありて夢み揺めきコスモスは  想い焦がれし君に贈りて 山川さんでしたっけ、翔平の膝つきホームランを見て、「ふざけてる、野球止めたくなった」の発言、すごくわかる。私もキルトウィークの作品を見ると、一気にやる気が失せます。そんなことで、今夜は応援?

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