読書日記

『坊さん、ぼーっとする』 <旧>読書日記1337 

2023年02月15日 ナビトモブログ記事
テーマ:<旧>読書日記

白川密成『坊さん、ぼーっとする』ミシマ社(図書館)

著者の「坊さん」シリーズの3冊目にして2020年の2月に出た最新刊。実はこの本の名を先に知り、調べて見ると先行作品が2冊あったという次第であり、こういうものは古いものから読むのが私の流儀であるが、図書館で予約した後に実物を手にする前にコロナ禍で休館となり、果たして順番通り読めるのかとやきもきした本でもある。

1冊目の『僕は坊さん』(2010年)は日刊イトイ新聞に著者が書いていたブログを元にしたもので、著者が24歳という若さで寺の住職になったいきさつなどが書いてあり、その若さが魅力であった。2冊目の『坊さん、父になる』(2015年)は坊さん歴10年になった著者が日常を綴りながら真言仏教を伝えようとしたものであった。

3冊目の本書は真言仏教の経典のひとつである理趣経(正確には『般若波羅蜜多理趣百五十頌』)という一般向けの密教の入門書という位置づけられているらしいお経をひもときながら、日常生活における修行法の一端をしめそうとしたものである。

T 坊さんと、娘たち
U 坊さん、何もしない
V 坊さんは光る
W 坊さんにできること
X 坊さん、今を生きる
と、全部で5つのまとまりがあり、それぞれに「見清浄の句」ノ巻、「皆、自在を得」ノ巻など理趣経の言葉にちなむ題が付いていて、それぞれの巻末に見開きで理趣経の言葉とその現代語訳(底本は松長有慶『理趣経』中公文庫)とそれをさらに砕いた言葉で著者が説明している。

以下、やや抽象的であるが私見を書く。
仏教と言っても多くの宗派があるのでひとくくりには出来ないのであるが、仏教が広くて深いものであることは想像出来る。そして、仏教にあるのは「言葉」を学ぶだけでは無く、行もあり、その行こそが一般人には触れがたいものであるけれど、その実践性・行動性がある故に宗教があるのだろうと私は考えている。

同時にその行は「言葉」の裏付けともなり、宗教性を深めるものでもあろうが、私にはその点にこそ仏教の弱点(宗教の弱点かもしれない)がある様に思えて仕方が無い。行がある故に深くもなり、また、その行が真理を求める際には制約ともなっているのではないかと思う。
(2020年6月9日読了)



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