メニュー
最新の記事
-
【New!】 熊谷守一の小さな幸せ -
【New!】 死亡記事を見ると私もそろそろか -
【New!】 実は毎日変化に富んでいる -
長生きは老害かな? -
図書館へ
テーマ
- つぶやき ( 13 )
- 人それぞれ ( 30 )
- 健康 ( 24 )
- 健康のために ( 60 )
- 思うこと ( 155 )
- 日記 ( 217 )
- 時事 ( 71 )
- 架空対談 ( 9 )
- 楽しみ ( 22 )
- 死について ( 105 )
- 生きる喜び ( 58 )
- 生きる言葉 ( 24 )
- 老人愚考 ( 34 )
- テーマ無し ( 19 )
カレンダー
月別
- 2024年05 月( 12 )
- 2024年04 月( 30 )
- 2024年03 月( 31 )
- 2024年02 月( 29 )
- 2024年01 月( 30 )
- 2023年12 月( 22 )
- 2023年11 月( 15 )
- 2023年10 月( 5 )
- 2023年09 月( 2 )
- 2023年08 月( 15 )
- 2023年07 月( 15 )
- 2023年06 月( 16 )
- 2023年05 月( 14 )
- 2023年04 月( 14 )
- 2023年03 月( 16 )
- 2023年02 月( 22 )
- 2023年01 月( 24 )
- 2022年12 月( 27 )
- 2022年11 月( 19 )
- 2022年10 月( 25 )
- 2022年09 月( 30 )
- 2022年08 月( 23 )
- 2022年07 月( 19 )
- 2022年04 月( 13 )
- 2022年02 月( 5 )
- 2021年08 月( 13 )
- 2021年07 月( 30 )
- 2021年06 月( 17 )
- 2021年04 月( 1 )
- 2021年01 月( 5 )
- 2020年11 月( 26 )
- 2020年10 月( 11 )
- 2020年09 月( 9 )
- 2020年08 月( 13 )
- 2020年07 月( 17 )
- 2020年06 月( 14 )
- 2020年05 月( 17 )
- 2020年04 月( 25 )
- 2020年03 月( 28 )
- 2020年02 月( 29 )
- 2020年01 月( 26 )
- 2019年12 月( 26 )
- 2019年11 月( 15 )
- 2019年10 月( 6 )
- 2019年09 月( 13 )
- 2019年08 月( 10 )
- 2019年07 月( 7 )
- 2019年06 月( 4 )
- 2019年05 月( 6 )
楽しい晩年
存在で考えると死が軽くなる
2022年12月19日
テーマ:死について
私の生死を存在のレベルで考えると、死は私のもう一つの形だとふと思った。死んだ私は生きている私と別物だと考えると、死に抵抗があるが、単なる変形だと考えると少し気が楽になる。死への敷居が低くなる。
存在は、二つの形で考えられる。
一つは、生きている肉体もそれに伴う意識も素粒子がなせるものだが、その素粒子は、死んでもバラバラになるだけで存在し続ける。
もう一つは、生きてきてなした行動も死も、情報としての存在は永遠に消え去らないということである。
この高次の次元で考えるという発想は、有と無の高次の次元が空であるという仏教思想にも見られる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
19日 午前中知人宅、独居ではないが病気で難渋している。なにかいい手がないかと市役所の福祉課に行ってきた。当人が受け入れるかどうかが問題だが、かなり包括的な支援策があることが分かった。
午後から、仕事の課題のために人と会う。帰ってから文案を考えた。ここでもネット情報がとても役に立つ。
コメントをするにはログインが必要です