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迷いあってこそ私

韓国ドラマ ファイテンガール  

2022年09月23日 外部ブログ記事
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先ずは、韓国で話題だったそうなハ・ワンの「あやうく一生懸命生きるところだった」図書館で借りてきたがなかなか私のこころには響いてこない。一方で、表題の韓国ドラマファイテンガール(邦題)チヨンイル電子(韓国題)BSで放映中。これにはあまり恋は出てこない、とても地味な作り。韓国ドラマあるあるだが、途中から面白く病みつきとなってしまった。下請け企業の大変さと下請けと呼ばない大企業(協力工場と呼ぶ)のエゴイズム。と、うわべはそこからの企業版シンデレラストーリーだけれど、その根底が面白い。「俺は特別だ」が支えとなる人、会社ではなるべく働く力を温存しようと出し惜しみする人、会社にいては見せないけれど、多かれ少なかれ家庭に問題があっても我慢してとにかく働く人、備品は自分の物と勘違いする人、小さな横領あくどい横領、沢山の人間模様にどれか一つは思い当たる場面の数々。となると、どんなシンデレラストーリーとなっていくのか、気になるわけだ。このドラマでも先ほどの「あやうく一生懸命生きるところだった」が引用されている。アリとキリギリス私もこの童話に圧力を受けた一人かもしれない。一生懸命働かなかったらキリギリスのような末路となると。ただ、ちゃらんぽらんにも無我夢中に働く人も、そう大きな差は無いのかもしれないと思うようになった。私が無我夢中で頑張る事が、ある人から見たらちゃらんぽらんに見えたかもしれない。人と比べてはならない。最後には自分が決めるから。二つの韓国文化は、実はとっても日本とよく似ていた。昔、韓国ドラマでの演出は大袈裟で嘘っぽーいと思っていたのに、ドラマでやっていた横領や忖度や権力者の私物化が、日本ではとうの前から横行していたんだと知り、笑えなくなった。ファイテンガールは、とっても地味だからか、話題にもならないけど、「シャイロックの子供たち」と同じく、どんな場所でもみんな生きている。それぞれの道を生きている、人一人一人の尊厳、それは私もその一人だよとエールを送ってくれた。

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