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強運の下に (9/15) 

2022年09月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 酪農家の友人が、7月中旬から8月は、3日晴れたことが無かったので、牧草は苦労したと言っていたのに、ここしばらくのお天気続きはどうだ。でもそれにも陰りが出て来て、週末は天気も崩れ、寒くなるかもしれません。今朝の陸別の気温は、0.9℃だったそうです。
 別に難しいことを考えて落ち込んでいるのではないのですが、ある人が「人間の生死は運と寿命」と言いました。 だとすると、私はまれにみる強運の持ち主です。父を18歳で失い、夫には52歳の時死なれた。母は認知症になった。父と母は申し分ない人だったとは決して言いませんが、私は自分を肯定できる人になりました。それ以上望んだら、罰が当たります。結婚しても、出産しても、子育てしても、やりたいことを1つも我慢しないでやらせてくれた夫にもあったろう欠点は、すべて忘れました。 中学では私の人生に大きく影響してくれた音楽の先生や、妥協せず創造し続けなさいと言った担任がいて、高3の時の担任は、50歳を過ぎてからその想いを知ることができました。大学で音楽を学べたことで、今の私があります。 息子に「悪党だ」と言われるほど、たくさんの友人知人に助けてもらっています。友達には、GWやお盆やクリスマスや年越しや、そして災害の時は最優先してはもらえないことにいくばくかの不満はあっても、仕方のないことです。 股関節が悪くて損をした記憶も無ければ、パーキンソンのあまりの具合の悪さに閉口してはいても、自分の悲運を感じたことはありません。 もうすぐ「ヒマジン」を披露しますが、ジョン・レノンの「イマジン」が絵空事なのか、だとしたら、意味が無いのか。そんなことは無いでしょう。歌くらい、理想を歌わなくてどうすると思っています。 レパートリーに、竹内まりあの「いのちの歌」がありますが、最後の方「生まれてきたこと 育ててもらえたこと 出会ったこと 笑ったこと そのすべてにありがとう」があります。「生んでくれてありがとう」と言うのが流行ったことがあります。そう言えば何だか、美しい物語になるように思いますが、言えますか、そんなこと本気で。思えますか 息子がうつ病で苦しんでいた時は、正直生んでしまってごめん、苦しめてしまった、悪かったと思っていました。息子はまちがっても「おかん、生んでくれてありがとう」とは言いません。万が一、そんなこと言ったら、「何言ってるんだか、気持ち悪い」と蹴っ飛ばしてやります。そのためには、脚の筋力を回復しなければなりません。 話がずれました。それでも、そう言う歌はあって良い、むしろ歌の使命じゃないかとも思うのです。聴く人を泣かせた「生きるものの歌」のいさぎよい所は、「思い出と歌があなたを支えていくだろう」です。家族を頼っていません。でも支えてくれる思い出のない人もいるでしょう。思い出ってのは「経験」だろうか。「やめてっ」?わかる人?結局、運なんだろうか。努力は必ず報われることなど無い。だから何もしないんじゃなくて、今日をがんばって楽しく生きるしかないんだけど、具合悪いんだよね〜。みみせんコンサートの予報は?会場が体育館なので、雨音がうるさいかも「ちむどん」のドラマとしての問題は多々あるけれど、沖縄そば食いたし〜

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