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ニャンコ座リポート
実は見た「PLAN 75」 (7/26)
2022年07月26日
テーマ:テーマ無し
昨日は久々の良いお天気で、気温も上がったはずで、体全体はやや暑いと感じているのに、左脚>左手>右脚>右手の順に、冷え冷えで苦痛でした。
1週間前に、気になる映画を見たのだけれど、予想通り重くて、ブログに書く気にもなれずにいました。でも、記録として残しておくことにします。 「PLAN 75」です。あらすじは、少子高齢化が一層進んだ近未来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度「プラン 75」が可決・施行された。 夫と死別してひとりで慎ましく暮らす主人公は78歳。高齢を理由に仕事を突然解雇され、住む場所をも失いそうになり、「プラン 75」の申請を検討する。市役所の申請窓口で働く若い職員や、死を選んだお年寄りをサポートするスタッフの若い女性は、このシステムに強い疑問を抱いていく。また、フィリピンから単身来日した介護職の女性は、幼い娘の手術費用を稼ぐため、より高給の関連施設に転職。利用者の遺品処理など、複雑な思いを抱えて作業に臨む日々を送る。果たして、「プラン 75」に翻弄される人々が行く着く先で見出した答えとは―――。なんて話です。 いくらひどい「自己責任ブーム」な日本でも、こんな制度ができるとは、思わないですが、今66歳で、家があって、いっちゃんが困らないだけのお金を残してくれて、病気持ちとは言え、何とか一人暮らしができている状態で、75歳を想像することは簡単ではありません。75歳になって、これらのどこかがほころんでいたら、死んだ方が良いかもと思わないでもないです。でもきっと実際は、死にたくないと思うでしょう。あれこれ考えますが、絶対に死んではいけないと、人様に言うことはできないと思うのです、その先に責任とれないですから。同じことが自分にも当てはまって、たとえば息子に「死ぬことにしたから」と言ったら、息子がかわいそうです。 動きは不自由でも、75歳になってもどこかでは(ファーチレは無理でも)歌っていたいし、チクチクやっていたいです。はってでも畑もやっていたいです。忙しくしていたいです。様々な人が、安倍さんの国葬含め、その功罪に意見を書くにあたり、たくさんの労力と細心の注意を払って、哀悼の意を表しています。それを怠ると、何を言われるかわかったものじゃないですからね。息子が、国葬に対しこんこんなことを。「反対するなら対案を出せということで,各地で9月27日には楽しいイベントをしてみんなではしゃぐのはどうでしょうね。キャンセルで空いてる会場を救うことにもなるし」?これ、良いですね。私も何か考えよう。私とて、理不尽な死に方をした安倍さんに、当たり前の哀悼の意はありますよ。さっちゃんのゴスペルライヴが、地元のFMで放送され、パソコンで聴くことができました。
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