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コロナが変えたお葬式 (3/11 東日本大震災の日) 

2022年03月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 昨日の午後は普通程度の体調不良だったので、ウォーキングフルコースができました。表面のグチャグチャが少し乾いて、下の凍土が少し融けて、地面のクッションが効いてきました。日当たりの良い所は、シャスタデイジーが緑の葉を見せてくれています。
 昨日、告別式に行きました。コロナ禍で、お通夜も告別式も「随時」という設定で、お香典を渡し、部屋の外でお焼香してくる形が一般化し、義理で行くお葬式なら、お互いに気楽で良いのですが、今回は違いました。 今はお付き合いはほとんど無く、年賀状のやり取りと、たまに町でばったり会ったらあいさつする程度ではありましたが、ご主人が病気で、介護をしていると風の便りに聞いていました。 新卒の時の先輩のK子さんは、母の所から通勤するのに最初車が無くて、同じ町から通勤していたので、少しの間車に乗せてもらっていたのです。真っ赤なセリカのハッチバックでした。カッコいいのなんのって。 「今時、お見合いなのよ」というご主人は、生真面目な頼りになる公務員という風でした。K子さんはちょっとお姉さんなだけなのに、大人っぽくて美人でおしゃれで、憧れの人でした。あまり頑健な人じゃなくて、ようやく授かった赤ちゃんを妊娠中に、仕事を辞めたと記憶しています。お互いの子どもが小さかった頃は、多少の行き来もありましたが、私も引っ越したりして、その後は疎遠になっていました。 ご主人は退職後、地域の委託の新聞記者になって、地元のイベント取材などで、良くお見かけしました。家庭用の小さなデジカメを持って取材先に現れるのに、何度も遭遇しました。ごちゃコンも取材してもらいました。かちゃ子さんなどと、もっと大きいカメラにするとか、腕章するとかしたら良いのにね、等と勝手なことを言っていたものですが、コロナ禍もあり、お見かけしないなぁと思っていたら、病気だったのですね。お元気になったら、又色々取材してもらおうと思っていたのに、残念です。 随時の時刻の最後の方に行って、「お見送りをしたい」と申し出て、部屋の外で待たせてもらい、お経を聴いていました。お通夜はかなりの人が見えたようですが、昨日は親族の方たちのみらしく、寂しかったです。考えてみたら、お葬式も久しぶりで、何かなつかしさみたいなものを感じました。出棺の時に、顔を見て、花を棺に入れさせてもらいました。K子さんは、何度も「ありがとう」と言って、「急だったのよ」と泣いていました。赤ちゃんの時しか知らない息子さんが、たくましくK子さんを守っていくと思います。お見送りできて良かったと思いました。1982年の写真を発掘。A子さんも近くにいたので。古いから、良いでしょう。今日は東日本大震災で亡くなった方たちにも想いを馳せて、過ごします。「カムカム」あそこで終わるなんて、ひどい。月曜日まで待てない

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