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カシアス

三つの墓石 

2021年12月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

 亡き父から受け継いだ当家の「家門永代記録」には
初代、江戸時代の八坂屋藤助から、6代目の父に至るまで、
代々の息子と娘の結婚相手や嫁入り先など、
年代と係累が漏れなく記載されている。
もっとも、父の代からは普通のサラリーマンだから、
自分が○○家7代目と言われてもピンとこない。

 15年ほど前、まだ存命だった父の指示で、
松山のお墓を東京西多摩の霊園に移したしたことがある。
お墓の移転(改葬)は簡単なことではなく、
松山のお寺様に事情を説明して、お布施を収め、
埋葬証明書を発行してもらい、諸々の手続きを行う、
石屋さんにお墓の撤去、整地を依頼し、
お寺様による墓石の魂抜に、新潟から松山へ出向くなど、
仕事よりお墓の改葬が優先する2か月だった。

 戦前、祖父が松山のお寺に設置した当家のお墓は、
低い石塀に囲まれた敷地に、3体の墓石が並んでいる。
中央が当家代々の墓、右が祖父の両親の墓だが、
左の墓石はM家・Y家‐両家の墓と彫られており、
お寺のご住職に訊いても当家との拘わりは定かでない。
父は、多分遠縁だろうと適当なことを言う。

 墓石はきめの細かい香川の庵治石で、なかなか・・らしい。
そのまま使うことにして、3体とも東京の霊園に送った。
新たな墓地に3体を立て、祖父母等の骨壺をカロートに収め、
浄土宗の法要を行って一件落着、引越は無事に完了した。
しかしながら、万一、M家、Y家の人がどこかにいたら、
当惑するのではないかと些か気になっていた。

 その後、改めて「家門永代記録」を真面目に読むと、
当家の3代目は、Y家からの婿養子だったが、
Y家とその親族のⅯ家は次の代で絶えてしまったと書いてある。
祖父は意外と義理堅かったらしい。

 今、我長男は48歳、次男は44歳、
それぞれ一家をなしているが、
4人の子供(つまり孫)は全て女の子だ。
お墓のことは息子たちに委ねるしかないが、
東京の墓地は敷地が狭く、3体の墓石がギリギリで、
4体目は無理なのである。



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