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ニャンコ座リポート

母が逝った日も暑かった (8/30) 

2021年08月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 2010年の夏は、遅れてやって来ました。すでに睡眠障害で、睡眠薬を飲んでいましたが、まだ若かったから朝早く目が覚めてしまうことはなく、ベッドでウトウトしていた時に、電話で起こされました。母が入院している病院からでした。「容体が急変したので、来てください」・・・覚悟はできていましたが、前日の夕方、いつもと変わらない様子を見て来たばかりでした。
 あわてちゃいけないと自分に言い聞かせ、病院の近くに住んでいる弟夫婦に行ってもらうことにして、かわいそうな延命措置はしないでほしいと伝えたのを覚えています。後で話をすり合わせると、電話が来た時は、母はすでに死んでいた気がします。全然文句ではありません。むしろ、言ってくれても良かったのに。「見に行ったら亡くなってました」と。きっと母の最期は、苦しくなかったと思うのです。
 直接の死因は肺炎でした。パルスオキシメーターが95になっているのを見たことがあります。グループホームで誤嚥で肺炎を起こし、病院に担ぎ込まれ、時々治るのですが又ぶり返し、10ケ月がんばってくれた末のことでした。だから、母の死因は、肺炎を起こさせた認知症だと思っています。
 認知症が怖いです。認知症に対し、ご本人もご家族も、ちゃんと受け入れて、その後を幸せに生きていますよと言うたくさんの本が出ていて、すがるように読んだりもしましたが、まだどうしても、そこに至ってはいません。自分がぼける(あえて使いました)ことは許せません。母を許せないという意味ではないです、誤解しないでください。
 母は、アルツハイマーではありませんでした。後になって分かったのですが、パーキンソン(遺伝しないと言われていますが)だったので、レビー小体型でしょう。と言うことは、私にはその資質が十分あるのです。動けなくなるより、ぼけるの避けたいです。
 興奮しました。母の亡くなった日の話でした。病院に着いた時、管や医療機器一切が取り外されて眠っている母は、とても安らかに見えました。良かったね〜と、心から思いました。
 弟の家に安置して、母は私と同じニャンコ座町に住民票がありましたから、様々な手続きのために、まだ元気でしたから、車で走り回りました。役場の駐車場で車を降りた時に、強い日差しに照らされたアスファルトに、自分の影がくっきりとできて、このまま焼き付くんじゃないかと思ったのたを、今でも思い出せます。
 変な話ですが、母にもしものことがあってはと、ドライアイスをたくさん用意してもらったので、母の体がコチコチに冷えてしまい、寒くは無いかと案じるわが心に、クスッと笑えました。
 これから、お参りに行って来ます。
 ※渋谷の行列、嬉しくない「列に入れよ?」ですが、今の若者はおとなしくて常識的、がわかる。まぁインタビュー受けてのことだからと言えばそれまでですが、誰も文句を言っていない。私なら、マイクに向かって毒を吐きたい。

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