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I’m happy/glad to help. (8/22) 

2021年08月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 前夜の「生さだ」は、安平のSLステーションでした。鵡川・安平・早来と繰り返されるたびに、私も被害に遭ったのに、怖いのに・・・とちょっと悲しい。
 自分をせっかちと思ったことはありませんでした。人を「早く早く」とせかしたりしないし、しゃべり方も動作も(脚悪い癖に、歩くの速いとは言われます)特別速くもないし。でも、思ったことは我慢できなくて即行動するのは、紛れも無くせっかちだったんです。自分のことだから別にかまわないのですが、人に無意識にプレッシャーをかけていたのです。
 理由はせっかちだけではなく、複合的なことなのですが。危うく、大切な友達を失う所でした。スピード感が違ったのです。良かれと思っていました。こじれた時に、共通の友人が指摘してくれました。
 せっかちはようやくこの歳で自覚しましたが、私はどうやら(悪い表現を使うと)お節介なようなのです。そうは思ってないのですよ。人の内面に踏み込もうだとか、過干渉しようなどとは、みじんも思っていません。第一、どなたかを助けるなど、大それたことができるはずもなく。
 自分が気持ち良くなるために、何かをしてやろうという発想はありませんが、もしも相手が喜んでくれたら、自分の喜びでもあるとは思っています。英語の「どういたしまして」はいくつかありますが、「I’m happy/glad to help.」と言うのがあって、私の気持ちにしっくりするのはこれです。
 幸いに、すっかり壊れる前に、相手が手を差し伸べてくれました。ありがとうです。懲りてはいますが、せっかちもお節介も、今のところ不治の病なので、どうか寛大なる目で見守ってください。がまんしないで、こじれる前に指摘してください。
 ところで、あの田辺聖子さんが、何のために本を書くかに「そうよねぇ〜、私もそう思う」と共感してもらうためと、言い切っていました。ブロガーは、おおむねそうだと思います。書き手が意見を求めているならともかく、コメントには反対意見を書くべきではないと思っています。もちろん、客観的に間違っていることや、他人を傷つける表現があれば、ダメ出しは必要ですが。最終的には、気に食わないブログは読まなきゃ良いだけですから、お節介は不要です。
 いっちゃんが死んだ時、お国に帰った、AETのMs.Maryから「sympathy」と書いたカードが届きました。「共感」です。今も忘れずにいると言うのは、いかに印象的だったかを表していると思うのです。
 たぶん多くの人は、なんだかんだ言っても、共感されたいのだと思います。その点、共感が苦手な発達障害の息子は、自分のTwitterが炎上するのを楽しんでいる気配があります。親として気をもんでいるのにね。送った体温計と解熱剤が着いたかとLINEしたら「郵便受け見てない」だってさ。見れよ?全く。
 新型コロナウィルスの猛威に対し、私の価値観でやれる努力をし、みんなが早く自由な日々に戻れるよう、願っています。この文章を書かなくて良い日が来るのを待っています。2学期が始まり、子どもたちの感染が心配です。

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