メニュー
最新の記事
-
【New!】 私ごときがお菓子の批評 (4/29 昭和の日) -
【New!】 桜 桜 今咲き誇る (4/28 単なる日曜日) -
【New!】 さようなら昭和の布団 (4/27) -
音師の3つの教え (4/26) -
才能あるけど成長してない私 (4/25)
テーマ
カレンダー
月別
- 2024年04 月( 30 )
- 2024年03 月( 31 )
- 2024年02 月( 29 )
- 2024年01 月( 31 )
- 2023年12 月( 31 )
- 2023年11 月( 30 )
- 2023年10 月( 31 )
- 2023年09 月( 30 )
- 2023年08 月( 32 )
- 2023年07 月( 32 )
- 2023年06 月( 30 )
- 2023年05 月( 32 )
- 2023年04 月( 34 )
- 2023年03 月( 31 )
- 2023年02 月( 28 )
- 2023年01 月( 31 )
- 2022年12 月( 32 )
- 2022年11 月( 29 )
- 2022年10 月( 31 )
- 2022年09 月( 30 )
- 2022年08 月( 31 )
- 2022年07 月( 32 )
- 2022年06 月( 30 )
- 2022年05 月( 32 )
- 2022年04 月( 31 )
- 2022年03 月( 31 )
- 2022年02 月( 28 )
- 2022年01 月( 31 )
- 2021年12 月( 31 )
- 2021年11 月( 31 )
- 2021年10 月( 31 )
- 2021年09 月( 30 )
- 2021年08 月( 31 )
- 2021年07 月( 31 )
- 2021年06 月( 30 )
- 2021年05 月( 31 )
- 2021年04 月( 30 )
- 2021年03 月( 31 )
- 2021年02 月( 28 )
- 2021年01 月( 31 )
- 2020年12 月( 31 )
- 2020年11 月( 30 )
- 2020年10 月( 31 )
- 2020年09 月( 31 )
- 2020年08 月( 32 )
- 2020年07 月( 33 )
- 2020年06 月( 47 )
- 2020年05 月( 31 )
- 2020年04 月( 30 )
- 2020年03 月( 32 )
- 2020年02 月( 29 )
- 2020年01 月( 31 )
- 2019年12 月( 30 )
- 2019年11 月( 31 )
- 2019年10 月( 31 )
- 2019年09 月( 30 )
- 2019年08 月( 31 )
- 2019年07 月( 31 )
- 2019年06 月( 34 )
- 2019年05 月( 31 )
- 2019年04 月( 30 )
- 2019年03 月( 32 )
- 2019年02 月( 29 )
- 2019年01 月( 32 )
- 2018年12 月( 33 )
- 2018年11 月( 31 )
- 2018年10 月( 30 )
ニャンコ座リポート
I’m happy/glad to help. (8/22)
2021年08月22日
テーマ:テーマ無し
前夜の「生さだ」は、安平のSLステーションでした。鵡川・安平・早来と繰り返されるたびに、私も被害に遭ったのに、怖いのに・・・とちょっと悲しい。
自分をせっかちと思ったことはありませんでした。人を「早く早く」とせかしたりしないし、しゃべり方も動作も(脚悪い癖に、歩くの速いとは言われます)特別速くもないし。でも、思ったことは我慢できなくて即行動するのは、紛れも無くせっかちだったんです。自分のことだから別にかまわないのですが、人に無意識にプレッシャーをかけていたのです。
理由はせっかちだけではなく、複合的なことなのですが。危うく、大切な友達を失う所でした。スピード感が違ったのです。良かれと思っていました。こじれた時に、共通の友人が指摘してくれました。
せっかちはようやくこの歳で自覚しましたが、私はどうやら(悪い表現を使うと)お節介なようなのです。そうは思ってないのですよ。人の内面に踏み込もうだとか、過干渉しようなどとは、みじんも思っていません。第一、どなたかを助けるなど、大それたことができるはずもなく。
自分が気持ち良くなるために、何かをしてやろうという発想はありませんが、もしも相手が喜んでくれたら、自分の喜びでもあるとは思っています。英語の「どういたしまして」はいくつかありますが、「I’m happy/glad to help.」と言うのがあって、私の気持ちにしっくりするのはこれです。
幸いに、すっかり壊れる前に、相手が手を差し伸べてくれました。ありがとうです。懲りてはいますが、せっかちもお節介も、今のところ不治の病なので、どうか寛大なる目で見守ってください。がまんしないで、こじれる前に指摘してください。
ところで、あの田辺聖子さんが、何のために本を書くかに「そうよねぇ〜、私もそう思う」と共感してもらうためと、言い切っていました。ブロガーは、おおむねそうだと思います。書き手が意見を求めているならともかく、コメントには反対意見を書くべきではないと思っています。もちろん、客観的に間違っていることや、他人を傷つける表現があれば、ダメ出しは必要ですが。最終的には、気に食わないブログは読まなきゃ良いだけですから、お節介は不要です。
いっちゃんが死んだ時、お国に帰った、AETのMs.Maryから「sympathy」と書いたカードが届きました。「共感」です。今も忘れずにいると言うのは、いかに印象的だったかを表していると思うのです。
たぶん多くの人は、なんだかんだ言っても、共感されたいのだと思います。その点、共感が苦手な発達障害の息子は、自分のTwitterが炎上するのを楽しんでいる気配があります。親として気をもんでいるのにね。送った体温計と解熱剤が着いたかとLINEしたら「郵便受け見てない」だってさ。見れよ?全く。
新型コロナウィルスの猛威に対し、私の価値観でやれる努力をし、みんなが早く自由な日々に戻れるよう、願っています。この文章を書かなくて良い日が来るのを待っています。2学期が始まり、子どもたちの感染が心配です。
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません