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まだまだ終われない女の人生 (5/12) 

2021年05月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 医療・介護等々、最前線で働いている皆さんに感謝し、さらなる負担をかけないよう努力します。
 コロナに対して、10人いれば危機感は10通り。明日の予定だったヴォイトレが延期になりました。先生がナーバスになっていて、本音考え過ぎと感じますが、ご主人が持病があり(そもそもそのために、東京から来て滞在してくれている)、「大丈夫だよ」と言いたいけれど、科学的根拠は無いし、責任取れないし。だとしたら、ファーチレの練習に行く私など、危険人物過ぎて習いに行けない、秘密にしなきゃってことになります・・・違うか。
 町内の入植1世の方が、自分の人生で、コロナ禍は戦争と同じくらい大変だ(もちろん、住む家もあり食べるものもあり、そこは全然違うけれど)と言っていました。時々思うのです。戦争が終わってから生まれて、コロナどころか、東日本も胆振東部も知らないで、親に守られ、尊い仕事を得て、愛する人(私のことだよ)と結婚し、子供を持ち、それらを残して「まあまあの人生だった」と言って、さっさと死んでしまったいっちゃんは、本当にずるいと。
 昨日わかったのですが、紫竹ガーデンの社長で、花柄の帽子や服で「紫竹おばあちゃん」として長年親しまれた紫竹昭代さんが4日、亡くなったそうです。94歳でした。そっか〜。残念、紫竹ガーデンに行ったことはありますが、お見かけするも、お話していませんでした。
 ターシャの風貌が他人とは思えないのに対し、紫竹さんは私とは真反対の体形でした。でもド派手なファッションが大好きで、ガーデンのショップにあったお花の帽子の数々は、今も思い出します。ご主人を亡くして、63歳の時に悲しみを乗り越えて自分らしく生きることを考え、「昔遊んだ花いっぱいの野原をつくろう」と思いたったと言うのが、何とすばらしいじゃないですか。昨日は、膝にサポーターをして、はいつくばって、鼻水垂らして、畑をやりました。花いっぱいの野原ねぇ。私はまだ、65歳じゃないですか。
 ラジオを聞いていたら、小柳ルミ子がインタビューに応じていて、先月出した新曲のことを話していました。
 「疼くひと」で、70歳の疼く具体的女性像をイメージできずにいたのですが、ルミ子さん68歳、きっと70歳で疼くんじゃないかと思いました。

 Facebookで、こんなのを見つけました。「今までバッハと言えばマタイ受難曲でしたが、今度のバッハさんはまた難局を押し付けて・・・」合唱バカは一瞬ニヤッとしてしまいますが、笑っている場合じゃないです。
 錦織が良い発言。「オリンピックは大事なことですが、命かけることはありません」。私は合唱バカですが、命はかけていません。

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