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死にゆくものの詩 (4/17) 

2021年04月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 医療・介護等々、最前線で働いている皆さんに感謝し、さらなる負担をかけないよう努力します。
 「生きるものの詩」ではなく「死にゆくものの詩」です。
 今日は、父の命日です。1974年のことだから、47年前です。父が死んだのが47歳の時だから、父にとっては生きた年数と、死んでからの年数が同じになりました。人一倍丈夫だった父が、自ら病院に行き、母に告げられた病名は、胃の末期がんでした。死亡診断書の死因には、がん性腹膜炎と書かれてありました。
 父が得意な分野の理系は、私は苦手でした。絵も習字も、父の期待には沿えませんでした。でも意地っ張りで負けず嫌い、文章を書き、いつも何かに好奇心を持ち、色々工夫して創り上げてしまうところなど、私は父に似ていると思っています。似ているからわかった気になっていたのか、名前の由来すら聞いたことが無いままに死なれてしまって、今さらながら後悔しています。父と一緒に描いた絵です。上のクレヨンが父、下の水彩が私だけれど、目いっぱい父が手直しした結果。
 父の闘病中に母が書いていた日記を、読んだことがあります。父は一言も、自分は死ぬのではないだろうかと言わなかったそうです。おそらく、わかっていただろうに、それを言ってしまったら、家族がかわいそうだと思ったのでしょう。最後の外泊をした日、弱り切った体で、母を求めたそうです。父47歳母42歳だものね。最後の方は、苦しがったのでモルヒネを使ってもらいましたが、心臓が頑丈だったらしくて、死の直前までコミュニケーションがとれました。
 いっちゃんも、自分はただ寝ていれば良いけれど、私がかわいそうだと言いました。毎晩病院から帰る時は、上半身だけベッドに載せると、頭や背中をトントンとさすってくれました。食うには困らないようにしてやれて良かった、自分はまあまあの人生だったと言って旅立ちました。
 死にゆくものは、なぜこれ程に優しいのでしょう。良く「病気になってわかたことがある」という表現があります。それは確かに本当です。でも私は、わかんなくて良いから、パーキンソンに等なりたくはなかったと、何の迷いもなく言えます。「病気になって良かった」とまで言う人もいます。とてもそんな風に思える日が来る気しません。
 死にゆくものが詩を書いたら、どんなのが出来上がるでしょう。
   愛する君たちよ 悲しまなくて良い 
   私は幸せだった もう十分だ 残していくことを許してほしい
   だからひたすら君たちのこれからの幸せを願う 
   心配いらない 大丈夫だ 
   待っているから いっぱい楽しんでからゆっくっりおいで
 弟の所に、お参りに行って来ます。

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