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チッキと汽車 (4/6) 

2021年04月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 医療・介護等々、最前線で働いている皆さんに感謝し、さらなる負担をかけないよう努力します。
 今日は息子が京都に戻ります。空港までの運転は、頼むことができました。
 さて、日高線のこと少々書き足りない気がします。A子さんは、ご主人を巻き込んで、さようなら日高線代行バスの旅をして、記念乗車券なんかも買ったんだって。私も行けば良かった。失敗した。
 で、同年代のA子さんと思い出話をすりあわせてみた。古い日高門別駅の写真をかなり探したのですが、見つけられませんでした。木造の、もちろん駅員室があり、売店(キヨスクなどと言う名前はまだ無い)もありました。父は出張などの帰り(行き先がどこでも)、そこで明治の板チョコを買ってきてくれました。
 当時、苫小牧付近では、線路はもっと南を通っていて、まるで海の上を走っているように見えました。1962年、苫小牧港(西港)建設のため、苫小牧駅(旅客駅) - 浜厚真駅間の線路を内陸に付け替え。考えてみれば、車で苫小牧に行くと、富川→宮戸→鵡川インター→沼ノ端東インター→苫小牧ですが、鉄路だと、富川→潮見→鵡川→浜田浦→浜厚真→勇払→苫小牧だわ。
 「チッキ」って知ってますか?鉄道による手荷物輸送で、鉄道などが旅客から手荷物を預かって輸送するときの引換券《checkから》のこと。山形の伯母が、毎年下記を木箱に入れて送ってくれました。家から駅は近かったのですが、女子供が持ってくるには重くて、近所でリヤカーを借りて、駅まで受け取りに行きました。1977年、貨物・荷物取扱い廃止。
 子供の頃の弟は、SLが来る時間に合わせて駅に行って、貨物の入れ替え作業を飽きずに見ていて、すっかり乗務員さんと顔なじみになっていました。
 1974年、大学に入学してすぐ、春闘で、国鉄が全面的にストライキに入り、余命いくばくもない父に会いに戻るのが大変でした。組合の無い中央バスだけが動いていて、岩見沢から札幌へ。札幌から苫小牧へ。苫小牧からはタクシーで門別にたどり着きました。
 車を運転することになっても、札幌へ行くのはなかなかハードルが高く、そんな時便利だったのは、3往復走っていた札幌まで直通の急行でした。1987年、国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。1986年、特殊自動閉塞式導入に伴い運転要員無人化。1990年、現駅舎竣工。2010年、キヨスク閉店。そして、2015年、厚賀駅 - 大狩部駅間の高波被害により列車の運行を休止。実質、日高線はその寿命を終えました。 日高線は、電化されておらず、したがって田舎者は「電車」という言葉は使わない、「汽車」と言います。電車と言えば、路面電車を指します。
 A子さんは、道新出版の写真集「日高線の記憶」を買ったって。私はほら、「いずみ」の謝礼に来るんじゃないかの期待が外れました。今度買おうっと。そんなA子さんの実家は農家。「黒千石」も「唐箕」も知っていました。
 「おちょやん」のセリフ。「この戦争がいつまで続くかわからないけど・・・」に、戦争よりは、コロナ禍の方がまだましやと思いました。橋田寿賀子さん逝去。

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