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ニャンコ座リポート

2度目の子離れ (7/14) 

2020年07月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 そろそろ、息子の再出発が近づいてきました。8月には京都に戻る、その準備に行きます。
 心配していないと言えばうそになります。毎日、誰かと生き生きと打ち合わせや飲み会をしている様を見ると、もう大丈夫とは思うのですが、何しろおおもとの原因は解決しているわけではないし、辛い思い出しかないあの家に帰って、どんな気持ちになるのかと思うと自分の足のことを棚に上げて心配になるのです。
 昨日は苫小牧の家裁へ行きました。私がくっついて行っても何の足しにもなりませんが。ロビーで待つ間、せっかくなので、リハビリ的なことをやっていました。椅子にはソーシャルディスタンスの張り紙がありましたが、私の他には誰もいなかったし。歩く時の重心移動のこつが、少しわかった気がしました。世界広しといえども、この瞬間、裁判所のロビーで脚のリハビリをしている人は私しかいるまい、と思うと、おかしくてさ。
 天気が今一だったので、折り畳み傘を持って行ったのですが、そこに付けていた、何というのかな、ストラップで良いのかなは、自分でアルファベットや記号を選んで完成させる物で、「○○○(私の名前)?○○○(いっちゃんの名前)」です。取り外して、杖に付けてみて、あることに気づきました。いっちゃんとイッチャンセンセは、字まで同じ名前です。それが杖についている。まるで、脚を治してくれた記念みたいじゃない。違う違う、先生のことじゃないからね。
 去年の春、とても京都においておける状態じゃなかったから、無理やり連れ帰りました。最初少し入院して、自宅療養に入りましたが、全く良くならないどころか、冬になる頃にはどん底を見ました。奇跡のように、いえ息子自身が最後の力を振り絞って、行動してたぐり寄せたのですが、病院と医者に巡り合い、回復していきました。ちょうど1年後に、元気になった息子がやってきました。
 そのタイミングで、世界中がコロナに襲われ、こんな言い方はいけないのですが、すぐには京都に帰れなくなり、だからこその活動が始まったのです。それは夢のような3か月でした。一人で入院して、一人で退院する覚悟はあったのですが、こんな訳で留守番をしてくれることになり、価値観の違いで衝突もしましたが、心からいてくれてありがとう。発達障害で、気が利かないことこの上なしだけれど、ハイビスカスを枯らさないでくれただけでも、上出来です。
 大学で北海道を離れた時は、いっちゃんがいました。今回は一人で息子を見送らなくてはなりません。とっくにできていたつもりだったのに、もしかすると2度目の本当の子離れなのかもしれません。

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