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人生いろは坂

新しいステージ 

2011年08月02日 外部ブログ記事
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 8月1日をもって再び勤め始めることになりました。勤め先は新しく出来た「児島市民交流センター」
です。市民交流センターなるものが建設され始め、この建屋の維持管理に関する指定管理者としての
公募が始まりました。私にファッションタウン児島推進協議会から協力依頼があったのは、この頃の
事でした。

 以来、何度も会議や打ち合わせを行い紆余曲折の末、クラレテクノという会社との共同事業体と
言う形で指定管理者の申請を行いました。何社かとの競合はあったものの地元に一番近く位置する
私達の共同事業体に決まりましたのが、つい最近の事です。

 「市民交流センター」なるものの使命は文字通り市民の交流の場を作ることにあります。更に言えば
これからの街づくりのための中核となる施設だと思っています。

 私が職員としての指名を受け、引き受ける事にしたのは一重に高齢化と過疎化が進む児島の地に
新しい街づくりをしていきたいという強い思いがあったからです。

 「児島市民交流センター」は旧児島市時代、市の中心に位置する場所である味野に建設されました。
かつての繊維産業全盛期には狭い通路の商店街には人が溢れるような活況を呈していました。

 また江戸末期から明治、大正、昭和と製塩業を営む野崎家が大きな影響力を及ぼしていました。
大正橋が懸かる小田川周辺には、当時としては珍しいガス灯なども設置され粋な街であったようです。

 そして交通の要としての下津井電鉄が経営する軽便鉄道の始発駅があったところでもあります。
西は茶屋町から東は下津井港へと鉄道は延びていました。

 その後、瀬戸大橋が開通し、ほんの一時期、活況を呈したものの繊維産業の低迷と単なる四国への
通過地となってしまい観光客も激減し、いつしか軽便鉄道も運行を止めてしまいました。

 また、繊維産業がコスト競争に勝ち抜くために海外に生産拠点を移し始めると、繊維会社で働く
女工さん達も急減し、味野商店街も店を閉めるところが多くなりました。今はかつてのアーケードも
撤去され旧商店街は明るくはなったものの閑散として人気がありません。

 こうした町の様子を憂えている人も少なくありません。しかし有効な手だてのないままずるずると
衰退の一途を辿っています。

 しかし、一方では新しい動きも感じられ始めています。特に児島が発祥の地だとされる国産ジーンズ
を起爆剤とするジーンズストリートなるものも出来、新しい動きがあることは誠に喜ばしい事です。

 児島には国立公園第一号の鷲羽山があり、風光明媚な王子ヶ岳があります。また、金比羅と並び
称される信仰の地である由加山蓮台寺があります。観光資源には事欠かない地なのですが、ほとんど
有効に活用されていないのが実状です。

 今年の児島商工会議所会頭の年頭の挨拶にもありましたが、産業と観光を生かした街づくりが
望まれます。その意味に於いても市民交流センターの位置づけは大きいと思っています。

 そして何よりも児島の中心地として、この場所へ来れば人と会える、どんな用事でも一度に済むと
いう「街づくりの拠点」となるべき場所にしていきたいと思っています。

 市民交流センターの年の差を越えた交流の場としての位置づけは大きいと思っています。立派な
図書館も出来ました。人が喜び集う町としての未来を目指したいと思っています。

 それが私を決断させたものでありますし、長くこの地に住み、働き盛りの頃から世のため人のために
尽くしてきた私としては、人生に於ける最後のご奉公だと思っています。

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