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たかが一人、されど一人

希望的観測 

2020年02月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

夢も希望も持てなくなった年寄りの戯言だが、希望的観測ほど儚いものはない。乏しい経験からすると希望的観測が実現するのは十に一つもあれば良いほうだろう。我が国は先の戦争で嫌なほど経験している筈。官僚は経験則を大事にすると聞くが、最近の有り様を見るとどうも怪しいものだ。国の予算編成を見ても数十年前までは「昭和の三大馬鹿査定」なんて称して戦前の大艦巨砲主義政策を引き合いに出す官僚がいたが、今や「たいかんきょほう」なんて打ち込んでも変換すら出てこない時代だ。大正や昭和時代の軍部と同じような無駄遣い予算が罷り通ることいついて、経験を踏まえて考え直せなんて言っても詮無いことかもしれぬ。今の官僚諸氏がいかなる知識や情報をベースに政策づくりに勤しんでおられるかは定かではない。言えることは、彼らが新しい事態に直面して新たな政策立案せざる得なくなった際に先ず考えるのは何かである。数日前にもチョット書いた気がするが、官僚無謬の神話に基づき、失敗が許されない事のように思う。前例が無いので無理くり政策を打ち出すが、失敗しないことが大前提にある訳だ。従って、大臣の口から発表されたが最後、どこまでもその方針を曲げずに突っ走ることが習慣化しているのだろう。走り始めてまた新たな事態に直面すると、基本的方向性を変えずに微修正で誤魔化す。こんなことは第2次世界大戦時の大本営発表の歴史を少し知っただけで誰にも分かること。微修正というのは結局戦力の逐次投入に他ならず、結局大負けに繋がったが、大本営はその間国民に嘘を言い続けなければならなかった苦い経験がある。嘘を発表する方も辛かったろうし、毎日寝ずに微修正を重ね、結果的に敗戦が決まった日に自決した大本営の参謀(多分いたと思うがいなかったかもしれぬ)も辛かっただろうと思う。国民は後になって当事者を責めることで鬱憤を晴らすが、払った代償が大なるものであったのも事実。比較的冷静でいてほしいのはマスコミだが、戦時中のマスコミが軍部に協力したのも現在とよく似ている。新しい事態にどう対処するかはお役人にも難しい問題だから失敗は致し方ない。更にどさくさの事態になると、これに乗じて大儲けする人間が必ず出現するのも已むを得ないかもしれぬ。予防関連品の会社や薬屋が儲けるのも仕方なかろうが、政府がお先棒担ぎにならぬよう注意されたい。もう一つ付け加えると、こんな時こそ省庁間の連絡協調が大事だと思うが、それがどう機能しているか、官邸官僚の能力を疑るわけでもないが、次官会議が無い現在大いに心配だ。

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