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夫婦活弁士誕生物語1 

2019年11月06日 外部ブログ記事
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 私は今、久々にブログに向かっています。

 それというのも今年の暮れには『カツベン!』なる映画が上映されると聞いているからです。
『シコふんじゃった』とか『Shall we ダンス?』で一世を風靡した周防監督による映画です。

 ほとんど痕跡をとどめぬほどに歴史の彼方に消えてしまった活弁なるものをどのように
映画化しているのか、非常に興味が持たれます。

 さて、私たち夫婦は長らく夫婦活弁士として岡山県を中心に活動を続けてきました。
私たち夫婦が活弁を始めたのは2007年の岡山映画祭の時からでした。

 この年、前の年の2006年に不慮の事故で亡くなられた松田栄一氏を追悼する意味合いから
特別企画として目玉のまっちゃんこと尾上松之助さんの映画を上映することになりました。

 ※ちなみに松田栄一さんは大の映画好きであり、映画館が岡山に出来たときからのことを
岡山文庫という一冊の本にまとめられています。
また、映画に関するおびただしい物品のコレクターでもあったと聞いています。

 尾上松之助さんは岡山市が出身地であり、無声映画時代に長く映画俳優として活躍された
方でした。

 亡くなられたときに京都での葬儀には、映画関係者ばかりでなく大勢の一般市民が参列し
別れを惜しんだと言われています。

 それというのも京都においては篤志家として知られており世のため人のために大いなる
貢献をされた方であったと聞いています。

 2007年の岡山映画祭では、その松之助さんの代表的な映画『豪傑児雷也』が上映されました。
この映画を上映するには活弁士付きでというのがフィルムの貸し出し条件だったようです。

 困ったのは岡山映画祭関係者の方々でした。プロの活弁士を呼べば多大な費用を要したから
です。色々な人に頼んでみましたが誰も引き受けてくれなかったようです。

 その時、白羽の矢が立ったのがうちの家内でした。岡山映画祭の人に活弁のワークショップの
経験があることを漏らしていたからです。

 ぜひ活弁をして欲しいと懇願されました。しかし、どうあっても首を立てに振ることは
出来ませんでした。ワークショップの経験があるとは行ってもお遊び程度のこと、更に映画の
主演者も共演者も多くは男優でした。

 如何に弁士といえども男性の声ばかりを連続で語ることには限界がありました。ということで
かり出されたのが私でした。師匠の佐々木亜希子の勧めもあって二人で活弁をすることになったの
です。

 引き受けては見たものの全くの経験がない二人、練習や脚本作りの悪戦苦闘の日々が何ヶ月も
続きました。

 そして上映当日、上映に使うフィルムと練習や脚本作りに使ったビデオテープのスピードが
全く違うというハプニングが生じました。その日の最初のリハーサル時に分かりました。

 万事休す、進退ここに極まれりと言ったところでした。午後からの本番に向けて大急ぎで脚本の
手直しをしました。良くやったと思います。こうして柳下美恵さんのエレクトーンの演奏に
助けられて何とか語り終えることが出来ました。本当に良くやったと思います。

 この時に師匠の佐々木亜希子弁士からの後押しもあってNHK岡山放送局の取材を受けることに
なりました。私たちの日常生活から住んでいる街の紹介、果ては日々の練習風景に至るまで
何日間かの取材を受けました。

 そして本番当日のハプニングまで事細かに撮影されたものが、後日、放送されました。
その放送が思わぬ反響を呼び、その後、今日に至るまで活弁のボランティアを行うことになった
のです。

 後日の全国放送を偶然にも見たという遠い親戚から電話があったのも、この時の事でした。

       夫婦活弁士「むっちゃん かっちゃん」の連絡先
       090−7543−1640

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