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ニャンコ座リポート
大切なもの (11/6)
2019年11月06日
テーマ:テーマ無し
何だか、体のあちこちがキシキシしている感じがします。パーキンソンが悪化してもおかしくない精神状態であることは間違いないです。息子はとりあえず、内閣の皆さんといるはずだから、ひとまずは忘れましょうかね。ではなくて、「ただしヤクザを除く」、東京及びお近くの方、ぜひ観てやってください。超絶うつ病の息子も、10秒くらい出演します。息子が宣伝できていないので、集客がピンチだそうです。
遅れてしまいましたが(10月31日が結婚式記念日)
Happy Wedding anniversary 37
息子がこんな惨状になり、いっちゃんと私という夫婦は、まれに見る11月22日夫婦だったんだと思います。いえ、いっちゃんができた人だったのでしょう。尊敬しています。何しろ趣味は私、私がニコニコしていることが幸せだと言い切ってくれたのですから。私が先に死ななくて良かったです・・・というのはしゃくですが。
夫婦が上手くやる秘訣は、それぞれが趣味を持つことと、誰かが言っていましたが、私は断然同じ趣味も一つは持つことだと思います。じゃないと、一緒に夢を語れないじゃないですか。息子はYちゃんと共通の趣味が無かったなぁと、うなだれていました。
物置を片付けていて、結婚式の資料もたくさん発掘されました。いくつかを残して処分しましたが、2人とも教員だったので、子どもたちからのお祝いの手紙などがたくさんあり、読める限り読んで、感謝の気持ちを新たにしました。
結婚式は、ニャンコ座町の町民センターでした。愛情深く時にそれが重すぎる、おとなしいのに時にがんこになる母が、2人ともこの町で仕事をしているのだから、ここできちんと式を挙げるべきだと全くぶれなかったので、あえて悲しませることもないかと思いました。本当は、2人だけで南の島リゾート結婚式をしたかったんだけど。両方の学校の子どもたちが、勝手に会場に来てしまって、ドアの外で騒いでいました。先生みょうりに尽きます。「自由に食べてください」の飴と、「お祝いを書いてください」のノートを置いておきました。
いっちゃんは、沖縄が大好きでした。自分は琉球人だと言っていました。確かにて〜げ〜な人でした。今の息子の超狭くなってしまっている思考回路を、どんな風に広げてくれるのでしょうか。だから、首里城の火事はショックでした。沖縄には、何度も連れて行ってくれました。
同じ趣味はあったけれど、性格や得意分野は正反対だったと思います。でもそれを尊重し、補い合えたと思います。そして、何を大切にするかは、きっと違っていなかったと思います。私の股関節が悪い事、経済的な事、自身のやりたい事等を考え、子供は息子1人になりました。でもその息子のことを、今でも何より大切だと思っています。
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