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吾喰楽家の食卓

師匠を超えたか 

2019年11月02日 ナビトモブログ記事
テーマ:古典芸能

土曜日の早朝、総合テレビで「あの人に会いたい」を見ている。
欠かさずというのではなく、起きられたら見るといった感じだった。
ところが、年を重ねると共に、早寝早起きの度合いが進んだ。
近頃は、見る頻度が増えている。
毎回、著名な故人の足跡を懐かしむ番組で、先週は先代圓楽だった。

昨日、再放送があるのを知り、見ることにした。
時間もチャンネルも変わり、金曜日午後のEテレになった。
番組は、両親の思い出、若い頃の談志や円鏡との交流、師匠圓生の分裂騒動などで構成されていた。
続けて二度も見たのは、圓生没後に圓楽が私財を投じて建てた寄席、若竹の時代に興味を持ったからである。
圓楽の弟子である、鳳楽がアップで映っていたのだ。

総領弟子の鳳楽は、弟弟子の好楽や楽太郎(現圓楽)と共に、圓楽を囲んでいた。
師匠は、しきりに櫓を漕ぐ仕草をし、弟子たちに手本を見せていた。
先日の上野広小路亭で、鳳楽が、『夢金』でやった所作である。
代々、三遊亭に伝わる“お家芸”の一つかもしれない。
当時の鳳楽は、真打になったばかりだと思うが、中々の男前だった。(今も男前だが)

時代は下がり、圓楽が、得意な人情噺『浜野矩随』(はまののりゆき)を、口演する様子が映った。
3年前の風流寄席で、鳳楽の熱演を見て泣かされた噺である。
番組の中で、圓楽は「コピーはよしなさい。コピーだけではいけない」と、語っていた。
テレビ映像の圓楽と、実演の鳳楽を比べるのは、無理があるのは承知している。
その上で、鳳楽の泣きは、単なる圓楽のコピーではなく、それを超える何かがあるように感じた。

   *****

写真
11月1日(金)の昼餉と夕餉



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