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母の遺言 (10/23) 

2019年10月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 穏やかな気候が続いていて、助かります。息子がこうなって唯一良かったことが、物置の片づけと書きましたが、当初1週間くらいでと思っていたのが、まだ続いています。息子はひとたび物置に入ると、懐かしそうに漫画を読んでいる時間が一定時間ありますから。そりゃもうニャンコアメンのお墓でも暴いているように、様々なものが発掘されます。それは母の荷物も引き取ったからなのですけどね。
 良いもの見つけたは、何年か前に小学1年生の夏休みの絵日記を載せ続けたのですが、ちぎれた表紙が見つかりました。そして母の、2002年と2003年の家計簿も発掘されました。一人暮らしが無理になって、グループホームに入ってもらったのが2004年ですから、その直前と言ったところです。
 母はずっと「婦人倶楽部」の付録の家計簿を愛用していました。確か婦人倶楽部は廃刊になってしまったけれど、家計簿だけは残ったのではなかったかな。メモ欄に、備忘録と言うか、簡単な日記を書いていました。それが認知症でだんだん途切れ途切れになり、字も震えるようなおかしな字になり、内容はものを忘れたり、考えられなくなることへの不安ばかりになっていきます。
 2003年の最後は12/2で、「〇〇←(私)と富川行き、何だか家の中冷蔵庫の中が汚いなど言われ、情けなくなり泣いてしまった・・・」大いに思い当たります。ただ汚いのではないのです。ジャンル分けができなくなるのです。でもかわいそうなことをしました。
 10/11、「何だか嫌な日、悲しく悔しい日、いっちゃん、人が年を取るのを理解していないみたい」・・・これも思い当たります。いっちゃんも私も、わかっているのに母を責めました。
 9/11、「誕生日だったのに、72歳、誰からも電話無し、当たり前か」この日は木曜日。平日だけれど、私の家計簿にははっきりと「ケーキ」の記載が。それすらすぐに忘れてしまっていたのでしょう。
 春には「芋まきしたよ・・・してない・・・したよ・・・種芋買ってない」と、混乱している。「役場に行った。何しに行ったかわからない」など。
 驚いたのは「〇〇は、自分が着飾ってもお母ちゃんにお小遣いを上げるという気はない子だね、悲しいよ」でした。母は私にお小遣い欲しかったの?
 2002年10月には「頭がすっかりボケ、悲しい、死んだ方が良い」と書いてあります。この時の母は、71歳でした。母の苦しみを、私はどれほど理解していたのでしょうか。
 飲んでいた薬の説明書が挟まっていました。「ソラナックス」(安定剤)、「パキシル」(抗うつ剤)、「ミラドール」(消化管運動改善薬)、「アリセプト」(認知症改善薬)でした。

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