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人生いろは坂

カツベン・その不思議な縁 

2019年06月12日 外部ブログ記事
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 いよいよ久々に活弁を行うことになりました。先にも記事に致しました備中倉敷学の
皆様方のご招待による口演です。

 その口演の前に私たちが何故活弁に関わるようになったのか、その経緯について、
少しばかり書いておこうと思います。

 私たち夫婦が夫婦活弁士としてデビューすることになった映画が尾上松之助主演の
「豪傑地雷也」でした。2007年の岡山映画祭の時でした。

 その際にテレビ局や新聞社から質問され、自信のないままにこれからも続けていくと
宣言してしまったことが、アマチュアの活弁士として活動を始めるきっかけになったのです。

 今も各種団体や学校、公民館などの依頼を受け、少しでも活弁文化の宣伝になればと
続けています。

 私たち夫婦が活弁士としてデビューした岡山映画祭との出会いと言い、その後に続く
色んな方々との出会いや不思議な縁は、今も続いているのです。

 実は、2004年にピースボートという旅客船の中で「佐々木亜希子」というデビュー
して日も浅いプロの活弁士と出会ったのが全ての始まりでした。

 彼女を呼んで地元児島で活弁映画鑑賞会を開いてみたいとの私の熱い思いから、活弁士が
所属するプロダクションと交渉するために東京へ行ったとき宿泊したのが「ホテルパインヒルズ鶯谷」
と言う場末のホテルでした。

 何とそのホテルは交渉相手だった活弁士と活弁士が所属するプロダクションが活弁を
始めた頃、打ち合わせのためにいつも使っていたホテルだったのです。単なる偶然でしょうか。

 しかも、その向かいには活弁口演の会場だった映画館、そして、その隣は映画監督の
周防正行さんが、有名な「シャルウイダンス」の撮影に使ったダンスホールだったのです。

 実は今年の暮れに周防正行監督がメガホンをとった「カツベン」(仮称)と言う映画が
封切りになります。

 児島で活弁シネマライブを主催して15年、15年後の今年になって周防監督の「カツベン」
が封切られることになっています。

 何となく色んな出来事を通じて私たち夫婦の活弁との縁は薄くなるどころか、より一層
強いものになりそうです。

 私たちが活弁に関わることになった映画が「豪傑地雷也」でした。主演の「尾上松之助さん」
(目玉の松ちゃん)は岡山の人です。

 松ちゃんは、玉島の甕江座(おうこうざ)という座元で芝居公演中に津川雅彦さんたちの
祖父である牧野省三さんと出会いました。私は、このことを玉島での活弁口演の際、地元の
方からお聞きしました。

 日本映画の草分けとして、松ちゃんと牧野省三さんのコンビは長く続き、多くの映画が
生まれました。これまた人の縁の不思議さという他ありません。
 
 その牧野省三さんと組んで生まれた数多くの映画の中に、私たち夫婦のデビュー作となった
「豪傑地雷也」という忍術映画もあったのです。「ドロン」と一瞬にして人や物が画面から
消える忍術映画は、映画が持っている効果を最大限に活用したものではないでしょうか。

 子供は言うに及ばず大人までもが、その不思議さ故に、忍術映画の魅力に引き込まれて
いったものです。

 今も私たちはカツベンの魅力や面白さを知って貰いたいという思いから、細々ながら
活弁士として続けているのです。どうやら、どの口演においても大人たちより子供たちの方が
素直に喜んでくれます。それはまたアニメ映画やカラー映画にはない魅力が活弁には
あるのかも知れません。

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