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2019年02月15日 外部ブログ記事
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 文楽鑑賞(能との違い)

 昨日、国立小劇場で文楽第三部を鑑賞しました。作品は「雲雀山姫捨松」と「壇浦兜軍記」の二番です。いずれの人形浄瑠璃も江戸時代に文楽が得意とした「責め」をその主題としています。それぞれの概略は「コトバンク」から下記に引用とさせていただきます。


 「段浦兜軍記」は現行上演は三段目口「阿古屋琴責の段」のみです。
「阿古屋琴責の段」では「阿古屋が景清の行方を知らないというのは真実か」という点で詮議が行われるが、全段を読むと「阿古屋は本当に景清の行方を知らない」ということが明確にわかる。阿古屋はその直前で兄十蔵が景清の行き先を話そうとするのを押しとどめ、耳を塞いで聞かないようにする。つまり阿古屋は本心を喋っており、阿古屋を無罪とする重忠の裁定は「勧進帳」で冨樫が弁慶らを見逃す温情とは違い、紛れもなく正しい判断である。阿古屋は嘘を隠すために正しく演奏したのではなく、景清を救いたい一心を三曲にあらわして弾ききる。
 
山姫捨松は浄瑠璃義太夫(じょうるりぎだゆう)節。時代物。五段。並木宗輔(そうすけ)作。1740年(元文5)2月、大坂・豊竹(とよたけ)座初演。謡曲『雲雀山(ひばりやま)』『当麻(たえま)』や古浄瑠璃に扱われた中将姫の伝説を原拠とした作で、通称「中将姫」。三段目「雪責め」のくだりが名高い。右大臣横萩豊成の後妻岩根(いわね)御前は、王位をねらう長屋王子に頼まれ、継子中将姫の預かる観世音の像を奪い、その罪を姫になすりつけ、雪中で折檻(せっかん)する。しかし、姫は忠節な侍女たちに助けられ、父の慈悲で雲雀山へ逃れる。美女を雪中で責めるサディスティックな美しさは、歌舞伎(かぶき)ではとくに顕著で、「責め場」の代表的なものになっている。


 さて、平家の武士悪七兵衛景清は平家一門の出ではありませんが、平家方の強者で、源平の戦いの中で最も有名な平家ガタの侍として扱われています。能の世界ではいろいろな場面に登場し源氏の武士たちを苦しめます。能「景清」によれば、平家没落の後は自ら両眼をつぶし、老年は人里離れた洞窟の中で惨めな生活を過します。そこえ都から遊女「あこや」との間に出来た娘がチ父を訪ね探し当て、洞窟の中で会う場面を主眼にしています。


 一方能「雲雀山」では右大臣藤原豊成のある人の漸減により息女「中将姫」を大和と紀伊の境にある雲雀山にやり殺そうとしますが、「中将姫」の家来は不憫に思い、乳母の侍従が細々と花を売って生活の足しにするのです。そこにある日豊成が雲雀山でに狩りに出かけ偶然中将姫に遭遇する話に創作しています。いずれの場合も、創作時期は異なりますが、歴史的な文献からそれぞれの手法で文学的なフィクションの世界にいざなうのです。なかなか参考になる文楽のに場面でした。日々是好日。

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