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ボヘミアン・ラプソディ―に涙 (11/30) 

2018年11月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 ようやく「ボヘミアン・ラプソディ―」を観ました。熱烈なファンだったわけではありません。あまりにプログレが好きすぎて、少し遅く出てきたクイーンは、グラムロックと言われたので、違うと思ったのかな。大学で住んでいた清明寮に、「イケちゃん」という人が入ってきました。彼女は革マルでした。そしてクイーンの大ファンでした。イケちゃんは、寮内でクイーンのファンを増やしていきました。一応民青系の自治寮だったので、イケちゃんは警戒されました。だから、クイーンに抵抗があったのかな。イケちゃん、今どこで何していますか?
 それでも尚「ボヘミアン・ラプソディ―」には、一目も二目もおく存在でした。ある時ハッチポッチステーションでのグッチ裕三の替え歌「犬のおまわりさんwith QUEEN」by GUEENを見て(騙されたと思って見てください→ここ)、これはもう、世紀の大傑作と確信しました。楽譜を買い込んで、いつか優秀なボーカルを4人(以上)集めて、この超難曲を歌うことが私の夢です。
 映画に戻りましょう。平日の昼間なのに、あんなに人が入っているのを初めて見ました。同年代の人が多かったです。単なる、ミュージシャンのサクセスストーリーではありませんでした。フレディーがエイズで死んだのは、もちろん知っていました。初期はともかく、髪を短くして、ひげを蓄えた段階で、私には苦手な外見になりました。歯並びがコンプレックスになっていたのは、あまりそれを気にしない日本人には、ちょっとわかりにくいかもしれえません。でもあの声は、歯のおかげだとも思っていたようです。ミーハーな私の好みは、当然ドラムのロジャーですよ。
 クイーンは高学歴バンドでした。それぞれが、ミュージシャンじゃなくとも、一流の肩書を持っていました。映画で見る限りは、フレディーが1度迷ったくらいで、結束が固い大人なバンドと言う印象でした。メアリーの存在も重要でした。たぶんほとんどが、ドキュメンタリーと言って良いほど事実でしょう。曲は、その時々にできたものですが、歌詞は普遍的で、泣けてきました。気づくと、一緒に行った人も、鼻をグスグスしていました。その同行者とは、帰り道しみじみと、「いや〜、才能無くて良かったねぇ」と語り合いました。テレビで放映されようが、DVDが出ようが、それではだめです。大きなスクリーンで、大音響で聴かないと。ライヴ会場にいる錯覚に陥らないと。
 吉松隆さんのブログによると、1973年は、ピンクフロイドの「狂気」 、EL&Pの「恐怖の頭脳改革」、イエスの「海洋地形学の物語」と並ぶ新譜として、クイーンのデビューアルバム「戦慄の王女」が登場し、映画「ジーザスクライスト・スーパースター」も公開されたそうです。よだれが出そうな年ですね。私は高校3年生かぁ。まだそのどれもをすぐには知らなかったわ。
「Hair LABO」は、こんなに髪が伸びました。

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