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ニャンコ座リポート

軽くなった町 (11/28) 

2018年11月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 これ、誕生日プレゼントにいただいた物の1つ、「Hair LABO Family」で、土でできた顔の人形です。頭から草が生えるようになっていて、 生えてくると髪の毛のようになります。23日にセッチィングングし、まだ発芽していませんが、変化があったら報告しますね。
 息子は以前のツイッターを削除して、新たに始めましたが、仕方無いのですけれど、毒気を抜かれたように面白くなくなりました。でも私に対しては、少し優しく、というかまめに返事をくれるようになりました。書く文章も、気を付けているらしく、誤字・誤変換は減りました。
 ある被災地の知人が、「ゴミ捨て場が溢れかえりました。町の総量が少し軽くなったんじゃないかと思うほど!」と言っていました。私もそれを感じていました。直後の災害ごみ受け入れ所の様子を見ても。その後、断捨離などしないと言い切っていた自分が考えを改め、壊れた物だけではなく、他の物もタラタラと片づけをしながら、ごみとして出すたびに、家の中、または敷地内の重さが減ったような気がします。物欲人間だった私が、かくも物に固執する果てに、こんなショックな仕打ちを受けるとは。
 新聞の地震特集「激震 暗闇の大地」第2部は、なかなか読みごたえがあります。ブラックアウトの理由を知った時には、正直北電ばかじゃないの?(現場で必死に働いている人に対してではなく)と思いました。すぐ近くの厚真火発の依存度が高すぎ。町に水力発電所があるまじょ子町は、朝には停電は解消していたのですから。でもすべてが、国の意向を経営サイドが受け入れ、追認していく姿勢が招いた結果だったそうです。安定経営のすべが、裏目に出たのだそうです。
 泊原発のフル稼働によって、電気料金は98年に全国平均を下回り、2006年には過去最低レベルを達成したそうです。2006年と言えば、そうです、ニャンコ座落成の年です。オール電化が安くて安全と言われ、導入した結果、ガス・灯油・電気を使った場合よりも、ずっと安上がりでした。それが、東日本大震災を機に一変しました。節電、言われなくともしてますってば。高い電気料金に音を上げて、給湯と暖房をヒートポンプに替え、可能な限りLEDにしました。
 昨日は、水力と原発を持てない沖電が、液化天然ガスという全く違う道を選んだことが書いてありました。東日本後に株式時価総額が半減した北電に対し、沖電は8割上昇したそうです。
 9月6日の本震と、10月までの余震の震源の分布図も出ていました。確かに「東胆振」であることがわかりますが、ニャンコ座町は、震源のすぐ隣です。千歳と苫小牧とニャンコ座町を書き加えてみました。
 ようやく年賀状のデザインが降りてきたので、つかまえました。さあ、版画彫るよ。

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