詩(short poems)

赤毛のアン-7 

2018年10月06日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

マシュー、マリラの兄妹の姓はカスバートのようだが、それは今のところでは大して重要でないから置いておく。


マリラに引取ることを拒絶されてアンは泣いて拗ねたんだよね。アンがもしもグリン・ゲイブルスの家を好きって想えなければ元住んでいた教会系の孤児院へ逆もどりできて喜んだ筈だ。だから拗ねてマリラに文句を言ったのは孤児院よりもマリラたちと暮すほうを喜んだと考えられる。

孤児院は集団社会なんだ。集団社会と云うのは他人が集まっている所。だから家庭ではない。担当・責任者が落ち度なく子供を看なければならない、つまり担当者は子どもたちを管理する。管理に落ち度があれば担当者は上司から叱られるんだ。これが家庭なら親を叱る他人はいない。

親の落ち度は親を悲しませることになるが、担当者の落ち度は担当者をキツク罰することになる。分るかな?孤児院と家庭では根本が異なっているんだ。教会には神様がいるから好い環境だって言いたいけど、生身の人間が子供たちを看てるから間違いは起きて当然なんだよね。

これはキリスト教会だから起るのでなく、どの宗教組織でも起ることだ。最高の神・仏、あるいは哲人がその集団社会に君臨していても同じ。君臨してる絶対者と子供の間に人間が介在するからねえ。介在する人間は複数人いる訳だし、その複数人の言葉が全く同じってことは有り得ない。

絶対者の言葉は絶対だと言いながら、介在者の理解能力に開きがあるのだから、同じ解釈は成されず、子どもへ伝えられる言葉は必然的に個々で異なって何の不思議もない。だからその組織の代が換わる度に言ってることは代っていく。あんなに立派な中国でもロシアでも政策は替った。

だからうちの組織だけは絶対大丈夫だなんて言うなら、それだけでもう嘘っ八。(笑) だから組織を真っ当に保つ作業はとても大変なんだ。だから世界で最高水準の100人の仲介者がいたら、その100人の意見は異なる。これを知らない人は自分の組織だけは絶対大丈夫って無責任をいう。

だからさあ、赤毛のアンはドコに引取られたら幸せになれるか‥って考え自体がナンセンスなんだよね。だからアンの受け入れ先に神様・仏様・絶対者が居たとして、それでアンが幸せになれるとは断定できない。アンが素敵を素敵と思えなければ幸せになれない。分るだろ?

グリン・ゲイブルスで暮して、それで幸せを得るためにアンはどうしたら良いと思う?誰かを信じたら良いのかな?誰かを信じなければ良いのかな?どちらも間違いだってココに断定して書いておきますね。一言付け加えるなら、グリン・ゲイブルスが最高でなくて構わない‥だよね。



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