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人生いろは坂

この冬の寒さは 

2017年12月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 今年の冬はことのほか寒そうである。その寒さも近年には感じられなかったような
寒さになるかも知れない。そんな予感もする12月中旬、いはば初冬の寒さである。

 私は幼い頃の冬を思い出している。何よりも脳裏に浮かぶのは12月に入ると必ず
雪が降っていたことである。私が幼少期を過ごしたのは広島県の神辺町という広大な
田畑が広がる盆地であった。盆地なるが故に他と違って雪が降りやすい環境だったのかも
知れない。しかし、とにかく冬は寒く厳しかった。それを思い出すと今年くらいの気温は
普通だったような気がしている。

 ここ数十年、確かに地球の温暖化を感じさせるような季節感であった。幼い頃の記憶が
何だったのだろうかと、まるで別世界の出来事だったようにも感じる冬であったし、夏で
もあった。

 逆に夏は今よりずっと涼しかった。夜も9時過ぎるとぐっと気温が下がり、何もクーラーが
なくても過ごせたし、あるいは窓を開け放したまま過ごさなければならないほど暑くて
眠れないようなことはなかった。

 あの頃の厳しい冬をどうして過ごしていたのだろう。家の中の暖房と言えば火鉢と夜寝る
時には炭火を灰の中に埋めた炬燵が唯一の暖房器具であった。

 家庭内に風呂がある家ばかりではなく、あっても水くみや風呂焚きなどの労働を伴う
ことであり、毎晩風呂を沸かすという家庭ばかりではなかった。もらい風呂も普通であり、
我が家はもっぱら大衆浴場を使っていた。

 ちなみに我が家では火鉢に残り火があれば寝るときに父がその脇にサツマイモを埋めて
置いてくれた。翌朝にはほどよく焼けて、良い香りが漂っていた。その焼き芋が出来るのを
楽しみにしていたことを懐かしく思い出す。

 あまりにも寒い日の朝は、炭が入っていた炭俵が空になるのを待っていて、それを燃やすのが
楽しみだった。いわゆるたき火である。俵はススキを稲わら代わり使っていて、その上、
良く乾燥していたので勢いよく燃えた。燃え終わると残り火の中にサツマイモを入れて焼き上がる
のを待つ。これも冬の楽しみの一つであった。

 手や足には必ずシモヤケが出来、時にはアカギレと称して手の指には亀裂が生じて痛かった。
そうしたアカギレやシモヤケは、一冬中、癒えることはなく、春になってやっと少しずつ治って
いくということを来る年も来る年も繰り返していた。

 中には風邪を引いたまま鼻水が止まらず栄養状態が良くないことから蓄膿症になって青バナを
垂らしている子もいたようだ。

 今の世に生きる人の中に、そのような人がいるとか、子どもがいるだろうか。粗末な衣服に
粗末なはき物、そして暖房らしい暖房のない生活が多くの家庭の当たり前の日常であった。

 本当に貧しい時代であったが、夏は今より遙かに過ごしやすかったと言える。人は豊かさや
便利さを得て何かを失ってしまったような気がしてならない。良くなるものもあれば失った
ものも少なくない。

 豊かな食生活、肉や魚を当たり前のように食べられる一方で、たくさんの肉を得るためには
成長ホルモンを使ったり、大量飼育で発生する病気を防ぐために抗生物質を投与したりしている。

 こんなものが体に良いわけはない。結局、そうしたものを食することによって健康な体を
損なうようなことになってはいないのか。人間は得るものがあれば必ず失うものがある。
これが古来よりの普遍のものであり、もう一度、そのことを考え直して見たいものである。

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