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パトラッシュが駆ける!

三味線橘之助 

2017年12月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

若い頃の私は、邦楽に興味がなかった。
長唄、清元の類を、遠い世界のものとして、眺めていた。
三味線の響きを、じっくり聞いたこともない。
弦楽器なら、ギターであった。
その響きは爽快であり、音の端々に、詩がこもっているように思われた。

さながら、ポップスなどに比べた場合の、演歌の、
その陰湿や卑俗を蔑むように、三味線の音色についても、それにまつわる、
粘性や不透明感に、この国の音楽の、後進性を感じていたりした。
多分に先入観である。
確たる己を持たぬまま、ただ「洋」を尊び「和」を軽んじていたに過ぎない。

その、三味線への思いが、歌舞伎を見るようになり、少し変った。
情緒がない?
いや、ある。
よく聞けば、あるじゃないか。
有り過ぎるほどにある。

あの簡素な三弦から、喜びも悲しみも、豊かに響かせることが出来る。
と気付いて、余計に、前非が悔やまれた。
さながら、若き日に軽視した女の、時を経て気付いた、その美しさに、
愕然としたようなものだ。
外国に憧れ、何年か暮しては見たものの、歳と共に故国が恋しくなった。
そんなようなものかもしれない。

同様の例は、他にもある。
例えば、蕎麦、うどん。
これらは、若い頃、他に食べ物がない時、やむを得ずに食べるもの……
くらいに捉えていた。
今は、外食の際、希望する食べ物の、上から二〜三番目に入っている。

好きになると、今度は追いかけたくなる。
私の困った性分だ。
美味い蕎麦を求め、秩父の畑の中にある、農家が兼業する蕎麦店へ、
半日がかりで、出かけて行ったりする。

三味線もまた、自ら進んで、聞きたくなっている。
東に、津軽三味線の演奏会があると聞けば、急ぎ駆け付け、
西に長唄の会があると聞けば……と言いたいのだが、これが滅多にない。
あっても、敷居が高い。
私のような野人が、常衣のまま、行けるところでは、なかったりする。

 * * *

橘之助と書いて、これを、“きつのすけ“と読む。
立花家橘之助……歌舞伎役者ではない。
寄席芸人である。
男ではない。
女である。
紛らわしいけれど、そういう芸名となっている。
今から、八十年以上も前に、巧みな三味線弾きで、一世を風靡した。
と伝えられている。

長唄、清元、常磐津、小唄、端唄……
それらの中から、寄席で唄うにふさわしい部分を抜粋し、
三味線の弾き語りに聞かせる。
これを、浮世節と称するらしい。
これを創始したのが、初代橘之助となっている。

三遊亭小円歌が、その二代目を、継ぐことになった。
紛らわしいけれど、これもまた、女性である。
黒留袖を着て、三味線を膝に置き、艶然と微笑んでいる。
彼女の写真を、プログラムに見て、私はむらむらと、その気になった。
見に行こう……
いや、聞きに行こう……
しかも、襲名披露の口上まである。
私はこれが、好きだ。
歌舞伎でも、口上がある時は、万障繰り合わせて行く。
居並ぶ同僚や先輩により、お披露目役者の、知られざる一面が語られたりする。
梨園の貴公子とは言えど、特に、酒を飲んだ時などの、その素顔は、
案外、我々世俗の人間と、変わらないじゃないか。
と知ったりする。
これが楽しい。

寄席でのそれは、お笑いの場でもあり、なおのこと、賑やかであろう。
内幕暴露に、遠慮会釈がないのではあるまいか。
私はいそいそと、国立演芸場の師走中席へと向かった。

ちなみにここは、東京の寄席の中で、最も入場料が安い。
しかもシルバー割引まである。
客席もロビーも清潔で、広々としている。
客が来るわけである。
官業による民業圧迫……なんてことを、つい思ってしまう。

 * * *

目は口ほどに……どころではない。
二代目橘之助のそれは、常に何かを語っている。
口上の場で、本人は喋らない。
駒三、若円歌、歌司、金馬など、列座の諸先輩の挨拶を、
借りて来た猫のように、聞いている。
聞きつつ、しかし、その目でもって、心の内を語っている。
青眼(微笑)横目(睨む)薄目(照れる)流し目(媚びる)……
それぞれの目に、それぞれの味がある。
さすが、噺家の世界に、育っただけある。

良い光景だ。
「二代目橘之助賛江」と書かれた、後ろ幕を背に、居並ぶ五人。
その中央に、濃緑の江戸褄を着て、髪を後ろに小さ結った橘之助が居る。
女性にしては長身でもあり、タキシードを着て、蝶ネクタイでも結べば、
宝塚の男役でも、務まるのではあるまいか。
両の手を、膝の前にて重ね、正座した上体を、わずかに前傾している。

「橘之助の好きな男性は、夏目漱石、野口英世、聖徳太子です」
若円歌の冷やかしに、客席がどっと沸く。
舞台の皆さんは、笑わせるのが商売だ。
一方、客席は、笑ってやろう、次は何かと、待ち構えている。

主役に花を持たせ、つまり、橘之助にトリを任せ、
金馬師が膝代り(トリの前)を務めた。
これ、本来は逆なのである。
色物がトリを務めることはない。
さながら結婚披露宴のようなもの。
この日ばかりは、新郎新婦が主役。
招かれた会社の上司が、下に列するようなものだ。

「本日は、わたくしが最後でございます」
口上の幕が下り、再び高座に上がった、橘之助が言った。
「一度、これを言ってみたかったんです」
これ、芸人なら、誰しもであろう。
トリを務める。
それはさぞ、気分の良いものだろう。

話はどうしたって、師匠の円歌のことに及ぶ。
さぞ無念であったろう。
この日を見ることなく、この四月に亡くなってしまった。
彼女を、この道に引きずり込んだ、張本人とされている。

「末広亭でですね、下座の障子が、かたこと鳴ったのです。
あ、師匠が来たって思いました」
故人を偲びつつ、合間に、浮世節を唄う。
三味線が鳴る。
それを聞いているだけで、心が浮き立つ。
浮世とは、憂き世ではなく、楽しかるべき世である。

「お座敷に芸者を揚げて、これを聞くことも出来ます。
でも、とても、二千百円では、足りません」
客席が、どっと来る。
二千百円どころではない。
多くの客が、シルバー割引とやらにより、千三百円でこれを聞いている。

ゼニの採れる芸人、それが橘之助であろう。
私は当日、他の噺家を、何人も聞いたのだが、彼女の陰に隠れてしまい、
よく覚えていない。
女芸人、侮るべからず。
かつての三味線嫌いが、えらいことになっている。
もしかすると私は、彼女のオッカケに、なっちまうかも知れない。



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何もかもは無理ですから

パトラッシュさん

漫歩さん、
必ずしも「和の芸能」にこだわることも、ないのではないでしょうか。
和=高尚というわけでも、ないことですし……
私の場合は、たまたま芝居に通ううちに、それまで気づかなかった、さまざまなことに、興味を覚えたということです。
一方で、それまで親しんできた、洋楽の方が、少々おろそかになったりしています。

2017/12/24 08:00:25

ジェラシー

漫歩さん

「リタイアして17年もあったの〜、俺  はこのまま野暮な男で終わるのか〜」。

今日のパトラッシュさんのエッセイを読んで、和の芸能に殆ど無縁だったことを悔いました。

2017/12/23 21:15:39

もっと早くに知っていれば……

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
小円歌さんとは、長い付き合いなのですね。
一目惚れは、私も同じ、見た瞬間「これはいける」と思いました。
私は、宝塚でも、十分に通用すると思いました。

円歌師匠は、小柄だったとか。
二人が並んだところを、見たかったです。
私も、葬儀に行けばよかった。
喪服姿の小円歌は、これまた、見ものだったことでしょう。

2017/12/23 18:31:37

立花家橘之助

吾喰楽さん

初めて橘之助を見たのは、国立演芸場へ通い始めた頃のことです。
円歌がトリだった国立名人会で、当時は小円歌だった、彼女がヒザを務めました。
簡単に云うと、一目惚れです。
歯切れの良い三味線と、明るい色気が、何とも云えません。
円歌師匠の葬儀で見た、喪服姿も良かったです。
女優志望だったのですが、「俺の所に来い。女優にしてやる」という、円歌の一言で弟子入りしたそうですよ。
本人は、「騙された」と、云っています。
女優になっても、大成したかも知れませんね。

2017/12/23 10:13:06

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