多摩の生活とサイクリング

小平は武蔵野台地の尾根? 

2017年06月09日 ナビトモブログ記事
テーマ:多摩の暮らし

小平に移り住んだのは戦後間もないころ、まだ小学校へ上がる前でしたからここで生まれ育ったようなものです。

それから長期出張を除き、一時も他で暮らしたこともなくこの歳になりました。同じ道をクルマで通勤する日々が何十年と続き、当然毎日見る風景はあまり変わりませんでした。

しかし40才半ばごろ、ある本を読んでからこの当たり前の風景が全く別のモノに見えてきました。その本は「地下水の世界」、榧根勇著、NHKブックス です。

この本は地下水の流れを基軸として、その地形を読み解く内容なのですが、その中にあった「武蔵野台地」に関するものは、今まで毎日見ていたものが、全く知らなかった理由でそこに存在することを教えてくれました。

武蔵野台地は、青梅から流れ出た古多摩川が何万年に渡り南北に移動した運動によるもので、その時に隆起した台地を削っていったのが現在目の前にある台地(埼玉県中部から多摩丘陵まで)であること、削り損ねて残ったのが狭山丘陵や府中・浅間山であること、国分寺崖線として知られる崖が多摩川の段丘であること(立川段丘)が書かれています。

また古多摩川の忘れ形見とも言うべき地下水の河道が、標高70m付近の数地点(谷頭)で湧き出して、黒目川、石神井川、仙川などの小河川になり、また標高50m付近の数地点で湧水池(石神井池、井の頭池、善福寺池、深大寺湧水群など)を形成しているとのこと、そして前者の小河川の谷頭が全て小平市のフチ(市境)にあるのです。

その理由は小平市が武蔵野台地の尾根筋にあるから、ということが分かったことが新鮮でした。さらに尾根筋の中心部分が青梅街道(旧)から国分寺と小平の市境までの約3kmほどの帯で西から東に形成され、その中に我が家があるということが判明しました。

また一番標高が高い地点に玉川上水が流れていますが、よくよく考えてみると、玉川上水から台地に水を流すには水路を尾根筋に作ることが必要なので、今頃気がついたのか、と思うとともに、今まで何も考えずに走っていた道も、特に南北の道路の傾斜(ゆるい坂と谷)を感じながら走ることで、地形の僅かな変化が見て取れるようになりました。



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