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パトラッシュが駆ける!

出ない出ないよ 

2016年09月10日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

人の名が出ない。
喉まで、出かかっているのに、出ない。
著名人であり、才人であり、私淑していた人だから、
忘れるはずがない。
しかし、出ない。
さながら、喉につまった餅のようだ。
後頭部を一叩きすれば、ポンと出そうな気がするのだが、
しかし出ない。

坐間先輩と、雑談している時であった。
短歌について、語っていた。
両者が、記憶に残る名歌を、それぞれ挙げていた。
万葉集があり、子規や啄木があった。
茂吉があり、牧水があった。

さて、現代では……ということになり、
私はある歌人の名を挙げようとした。
しかし、出ない。
ならば、その歌をと思ったが、これも出ない。
酒を飲んでいたこともある。
最近とみに、脳の働きが、鈍化していることもある。

この時に、自助努力を諦め、相手の記憶に、
頼る方法がある。
「あの人、ほら、劇団をやったりして、
才能豊かだった人……ほら……」
私の妻など、よくこれをやる。
断片的な特徴を羅列し、相手の口から、
その名を言わせようとする。
「ほら」という感嘆詞が、早くせよとばかりに、
相手を促している。

これを、私はやりたくない。
自助努力を放棄し、相手に丸投げするのがいけない。
「あの人」「あれ」「これ」など、代名詞の多用も問題だ。
それこそが、ボケの始まりだと思っている。

だから、私は諦めた。
その歌人への言及を止めた。
先輩との短歌論は、それで終り、何事もなかったように、
話はまた、別の分野へと転じた。
しかし私は、遂に出なかった短歌と、その作者の名が、
気になって仕方ない。
思い出せたはずだ。
語ることが、出来たはずだ。
それがさながら、奥歯に挟まった、魚の小骨のように、
気になっている。

 * * *

「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス」
思い出すのを、のんびりと待つ、方法がある。
それでは、しかし、何時までかかるかわからない。
その内に、その失念自体を、忘れてしまいかねない。

「鳴かせてみようホトトギス」
私は、何とか、その名に辿り着こうと、努力をする。
例えば歌人なら、同時代の同輩を、思い出す限り、並べて見る。
出身地から、推し量ったりする。
類推し、事実に向かい、漸進する方法を取る。

実は、パソコンの検索に頼れば早い。
キーワードを幾つか入力すれば、きっと名前も出るだろう。
しかし、それをやったら、おしまいだ。
脳の劣化に、拍車をかけるようなものだ。

既にして、実例がある。
私は、日頃パソコンで文を書いている。
変換一発で、簡単に漢字が出る。
これがよくない。
いざ手書きで、書こうとすると、漢字が思い出せなくなっている。
人間は、安易に慣れたら、もういけない。
劣化、退化の一途をたどり、その速さは、つるべ落としの、
秋の日にも似ている。

 * * *

ようやくに、その短歌を思い出した。
「マッチ擦る束の間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」
私はこれを、戦後短歌の絶唱であると思っていた。
昭和四十年代、私は短歌の同人誌に加わり、歌作に励んでいた。
この歌から、溢れるような才気を感じた。

この歌の作者は、時代の寵児でもあった。
今後の短歌界を主導すると思われていた。
同じように、時代の先端を行くと目されていた歌人に、
岡井隆などが居る。
並べれば、はるかに知名度で劣る、それらの人々を、
覚えているくせに、私は、最も時代をリードした、
肝心の短歌作者の名を忘れてしまっている。

その彼が、劇団を主宰することに、軸足を移したこともある。
歌人としての印象が、やや薄くなっていたこともある。
それにしても著名人だ。
忘れてしまうことなど、あり得ない。
一時的に思い出せない。
つまりは「度忘れ」とするよりない。

出身は青森。
早稲田大学中退。
確か、姓の一部に「寺」の字があった。
じわじわと、記憶の包囲網を狭めて行く。
私は、あくまで自助努力により、この問題を解決しようとしている。
人名の一つ、思い出せないようでは、もう人間ではない。
くらいに思っている。

 * * *

高校の同窓会の、名簿を眺めている時であった。
物故者の名が、並んでいる。
そうなのだ。
卒業後、数十年を経て、亡くなる者が、年々に増えている。

その中の一人に、目が留まった。
○○修司……
お……
これだ、修司だ。
寺山修司だ。
私はようやく、その著名人の名に、辿り着いた。
一つ解ければ、すべてが解ける。
劇団の名は「天井桟敷」……次々にあからさまになる。

情けないことに、その名に辿り着くまで、
一週間を費やしてしまった。
その間、気持が悪くて仕方なかった。
折に触れ、寺、寺、寺と呟いていた。
思い出してみれば、何と簡単なことか。
続く文字は、平凡なる「山」であった。
もうあほらしいったらない。
そして我が身が、情けなくなる。

しかし、ともかくも、諦めないでよかった。
私は何とか、ぼけ老人たるを免れている。
他人は知らず、当人は、そう思っている。



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浮草のように

パトラッシュさん

澪つくしさん、
脳の仕組みを知っているだけでも、大したものです。
私なんか、自分にそれが、あるかどうかも含め、何もわかりません。
ただ、のんべんだらりと、生きております。

2016/09/12 08:44:31

イエイエ・・・

澪つくしさん

達観しているなんて・・・
そんなおこがましいデスワ!

地獄を見た者の処世術でしょうか。。。

脳の仕組みと、活性化の方法を
少し知っているだけです!

パトさんは物書きさんですから、
前頭葉は常に活性化されていると思いますよ♪
まず認知症の心配は無いんじゃないでしょうか?

2016/09/11 22:20:48

なるほど

パトラッシュさん

澪つくしさん、
その通りですね。
人間の頭には、所詮限界がある。
あれもこれもと、欲張るからいけない。
限界をわきまえて、上手に使えば、まだまだ何とかなりそうですね。

澪つくしさん、
達観しておられますねえ……

2016/09/11 16:21:13

忘却とは忘れ去ることなり・・・

澪つくしさん


用事を忘れ・・・

名前を忘れ・・・ この辺までは、年を取れば自然の事!

顔を忘れ・・・ 

食事をしたことを忘れ・・・ これはアブナイ領域ですね!

喜美さんのコメント、よくわかります(*^-^)ニコ

私は20代の中ごろに自動車事故で、記憶の一部
(微妙な距離の人の名)を失ったことがあります。
その時は大変なショックを受けました!が・・・
再記憶(記憶の書き換え)をして復活、現在に至るデス(^^♪

記憶何てそんな曖昧な物なんです。
忘れた事に拘らなくても、思い出そうとしたり、
再記憶しなおせばいいと思う私って・・・楽天家過ぎ??

記憶は使わないと何処かにしまい込まれて、
何時しか消去?削除?されてしまうようですね!

毎日の出来事を一年分覚えていたり、嫌な事を
逐一忘れずにいたりしたら、脳はパンク!ノイローゼに
成ってしまいますからね〜!

これは”神様の思し召し”と思う事にしてます。

2016/09/11 13:09:58

劣化との戦いです

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
寺山修司は、多方面において、その才能を発揮しました。
短歌俳句にも、優れた作品を残しましたが、あまりにも多面的な活躍をしたために、
それぞれの分野での実績が、印象として、薄まったきらいはあります。

なるほど、シシーマニア方式では、イントネーションが有力な手がかりのようですね。
50音で探って行く手も良いのですが、
私には、その根気もなくなりつつあります。
しかし、諦めるのは悔しいから、懸案事項として、執拗に頭の中に留めておきます。

2016/09/11 06:59:27

なるほど

パトラッシュさん

喜美さん、
常に一定量を保つところ、バケツの水と同じですね。
無理に入れようとしたって、こぼれるだけです。
忘れる=捨てる……と考えると、気が楽になりますね。
喜美さんには、教えて頂くことが多いです。

2016/09/11 06:45:37

呆けへの一歩と、肝に銘じます

シシーマニアさん

寺山修司が、歌人で俳人とは知りませんでした。

もっとも、タモリがマネをしていたのが印象に残っているくらいで、余りよくは知りませんでした。

師匠の仰る「 名前が出ないので、話題そのものを諦める」

よくあります。
なんとも寂しいですよね。
その後、どんな風に話が展開していったか、何だかとても惜しい気がするし。


私は、日本人名だと、50音順、外人名だとアルファベットかカタカナ50音順で、探っていきます。
何となく、イントネーション的に記憶があるときは、イニシアルに遭遇すると、ベールが剥がれていくように思い出すこともあります。

姓の一部に「寺」があった、的な手がかりでも、家事の間などにア行から、何度も続けて思い出すようにしていますが、最近は諦めることも増えてきました。

諦め事る事が、呆けへの一歩なのでしょうね。

2016/09/10 18:18:31

今までの私

喜美さん

読ませて頂き80歳ころまでの
自分そのままでした
其れが今は 開き直り認知かも
しれませんけれど60歳の時から
二十五年以上同じ頭に入れるわけでしょう何処か出さないと入れません
忘れたのでなく多すぎて
出されたのだと思うようになってから
凄く楽な気持ちです

2016/09/10 17:49:43

才人でした

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
そうです、晩年の彼は、
(と言っても、若かったのですがね)
劇団に全力を傾注している感がありましたからね。
彼を歌人とみる人は、多分少ないでしょう。
(実は俳人でもあったのですが)

競馬に関する著作も、多く残しています。
実に多くの顔を持った人で、それもすべての分野で、そこそこの活躍をしたのですから、驚きです。
正に、天才とは、あの人のことです。

その名を忘れてしまうとは……
情けなくて、それで文にまとめてみた次第です。

2016/09/10 11:59:32

心配ありません

パトラッシュさん

沙希さん、
そんなことは、ありません。
貴女は、小説を書いているくらいの人。
ボケてたら、書けるはずがありません。
度忘れは、誰にでもあることです。
私なんか、逐一書かないだけで、実は、のべつあるのです。
但し、その対処法が、人とは違っているかなと、その一例を、文にまとめて見た次第です。
文を書けなくなった時、それが私の終りだと思っております。

2016/09/10 11:54:15

訂正

さん

人命→人名

かなり、ボケに近いようです。^^;

2016/09/10 10:57:45

寺山修二

吾喰楽さん

おはようございます。

>その彼が、劇団を主宰することに、軸足を移したこともある。

ここで、誰のことか判りました。
「マッチ擦る・・」の短歌は、知りませんでした。

それにしても、日常のちょっとしたことで、これだけの文章を書けるとは、流石です。

2016/09/10 09:30:53

ボケに片足

さん

パトラッシュ師匠、おはようございます。

私も、最近とみに人命が出て来ません。
その顔が浮かび、代表作の台詞まで出て来るのにです。
奥様と同じように、相手に断片的な手掛かりを投げかけます。
せっかちなので、兎に角解決したいと・・

しかし、相手が答えを出してくれない時は、やはり気にかかります。
それでも、「まぁ、いいさ」と放っておくと、突如何の関連も無いのに、ふいとその名が浮かび上って来ます。

私はボケに片足突っ込み、辛うじて半身は常人なのでしょうか。

2016/09/10 09:16:38

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